先日来「敬老の日」がらみの行事が続く中、本番の今日はお祝いの酒と肴を携えて義父を訪ねた。先ほど三男が仕事の合間に、同じように義父の好きな日本酒と赤飯を持って寄ったという。
2月から義弟が大阪での勤めを早退の上、同居してくれているので安心している。今年の異常な猛暑も乗り切ったようで、庭の隅には丹精したナス、枝豆、キューリなどがたわわに実をつけている。
また義弟と二人揃って甲斐甲斐しく世話をするものだから、すっかり野良猫の住処と化し、子猫も数匹産まれていた。
義父は間もなく91歳を迎えるのだが、今なおかくしゃくとしており、97歳で亡くなった母親を凌ぐ日も確実視されている。今日も昼から3人で1升瓶を半分空けた。食はいたって細いのだが、酒がエネルギー源で気付け薬のようだ。
小欄「2007/1/11いまやらねばいつできる」でも書いように、岡山県井原市の田中美術館を訪れた際、平櫛田中翁に肖るように含蓄ある味わい深い田中語録を掲載したカレンダーを、義父への土産に求めたのだが、少しはご利益があるのだろうか。
そのころ義父の手記をまとめた半生記のタイトルは、「人生これからこれから」で、これも田中語録の一節から拝借したものだ。
帰宅してメールを開けると、二男宅から孫の写真を添えて、「敬老の日おめでとう☆いつまでも長生きしてください(´∀`) まほ、かい」「19日か20日頃、ささやかですが品物とどきます。遅くなってすみません(;^_^A」との嬉しいメッセージが届いており、優しい心遣いにホロリとさせられた。
夕方には三男家族が紅白饅頭を届けてくれた。夜になると、長男から電話があり、次々と家族の声を聞き、明日からの元気の源をもらった。
一般的には、「敬老」でいう老=高齢者とは65歳以上と定義づけられており、いささか気恥ずかしいやら、時期尚早の感もぬぐえず、かみさんと顔を見合わせて苦笑いした。
「敬老の日」によせて、今朝の山陽新聞の社説では『95歳で現役医師の日野原重明さんは、65歳以上を高齢者とするのは50年以上も前の時代遅れの定義として、75歳以上を主張している。60歳で人生を降りるのは早すぎるという』と書いている。全く我が意を得たりである。
田中翁曰く「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから」。
2月から義弟が大阪での勤めを早退の上、同居してくれているので安心している。今年の異常な猛暑も乗り切ったようで、庭の隅には丹精したナス、枝豆、キューリなどがたわわに実をつけている。
また義弟と二人揃って甲斐甲斐しく世話をするものだから、すっかり野良猫の住処と化し、子猫も数匹産まれていた。
義父は間もなく91歳を迎えるのだが、今なおかくしゃくとしており、97歳で亡くなった母親を凌ぐ日も確実視されている。今日も昼から3人で1升瓶を半分空けた。食はいたって細いのだが、酒がエネルギー源で気付け薬のようだ。
小欄「2007/1/11いまやらねばいつできる」でも書いように、岡山県井原市の田中美術館を訪れた際、平櫛田中翁に肖るように含蓄ある味わい深い田中語録を掲載したカレンダーを、義父への土産に求めたのだが、少しはご利益があるのだろうか。
そのころ義父の手記をまとめた半生記のタイトルは、「人生これからこれから」で、これも田中語録の一節から拝借したものだ。
帰宅してメールを開けると、二男宅から孫の写真を添えて、「敬老の日おめでとう☆いつまでも長生きしてください(´∀`) まほ、かい」「19日か20日頃、ささやかですが品物とどきます。遅くなってすみません(;^_^A」との嬉しいメッセージが届いており、優しい心遣いにホロリとさせられた。
夕方には三男家族が紅白饅頭を届けてくれた。夜になると、長男から電話があり、次々と家族の声を聞き、明日からの元気の源をもらった。
一般的には、「敬老」でいう老=高齢者とは65歳以上と定義づけられており、いささか気恥ずかしいやら、時期尚早の感もぬぐえず、かみさんと顔を見合わせて苦笑いした。
「敬老の日」によせて、今朝の山陽新聞の社説では『95歳で現役医師の日野原重明さんは、65歳以上を高齢者とするのは50年以上も前の時代遅れの定義として、75歳以上を主張している。60歳で人生を降りるのは早すぎるという』と書いている。全く我が意を得たりである。
田中翁曰く「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから」。