大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

三川鉱爆発から50年(2)  初の慰霊祭開催

2013年10月07日 23時20分34秒 | 日記
◆10月7日の西日本新聞は以下のとおりです。

<三川鉱爆発50年 初の慰霊祭開催
大牟田市 企業と合同  >

福岡県大牟田市は、6日、死者458人を出した三井三池三川鉱の炭じん爆発事故から50年となる11月9日、三川鉱跡で慰霊祭を取り行う方針を固めた。市や企業などでつくる実行委員会が主催する形で準備を進めており、行政が慰霊祭に関わるのは今回が初めて。
古賀道雄市長は当初、「民間の事故」として慰霊祭に消極的だったが、「炭鉱の負の歴史にも向き合うべきだ」とする市民の声が強まり、方針転換した。
 関係者によると実行委には、事故を起こした三井鉱山の事業を引き継ぐ日本コークス工業(東京)、大牟田商工会議所などが名を連ねる見通し。当日は、普段は閉鎖している三川鉱跡を公開し、献花台も設ける。
 慰霊祭については、日本コークス工業も「これまで聞いたことない」としている。三池炭鉱の二つの労組は熊本県荒尾市の寺や、大牟田市の公園にそれぞれ慰霊碑を建立し、別々に営んできた。
 古賀市長は西日本新聞の取材に対し、慰霊祭の開催に踏み切った理由について「市民の声は無視できない。悲惨な事故の記憶も後世に伝えなければならない」と語った。
  (西日本新聞 御厨尚陽 2013/10/7より)

◆作家の西村健(48)さんは
「事故という負の歴史こそ、後世の教訓となる遺産。
50年の節目は追悼式などをして、歴史を継承する機会と位置づけるべきだ」
と話されました。
古賀市長は「悲惨な事故の記憶も後世に伝えなければならない」
と話されたそうです。
含蓄あるお話と思います。
市民の声の強まりがあって生まれた慰霊祭開催です。





三川鉱爆発から50年(1) 「 沈黙の大牟田 」?

2013年10月07日 22時44分45秒 | 日記

◆「三川鉱炭じん爆発」から50年
458人の犠牲者と多くのCO2患者を生み出した三川鉱炭じん爆発から
今年の11月9日で50年を迎えます。
「事故の教訓」を伝えるため、遺族や元炭鉱労働者の中には、
企業や行政に追悼式の開催を求める声がありました。
しかし、企業や行政にはこの声に応える動きはなく、
「炭鉱閉山から16年、戦後最悪の炭鉱事故は半世紀を経て風化しつつある。」
と西日本新聞は「沈黙の大牟田」と書いていました。
 その記事の最後には、作家の西村健(48)さんが
「事故という負の歴史こそ、後世の教訓となる遺産。
50年の節目は追悼式などをして、歴史を継承する機会と位置づけるべきだ」
と話されていました。 ( 西日本新聞 御厨尚陽 2013/10/03 より )

◆ところが、2013/10/07西日本新聞に「初の慰霊祭開催」が報じられました。
 良かったです。急転直下です。
 ・・・・・でも何故、どうして?
◆西村健さんの後押しが効いた!と思いました。