「太平洋戦争中の学徒動員先で犠牲となった先輩たちの無念さを次世代に伝えたいー。佐賀県鹿嶋市の県立鹿島高そばの公園で24日、戦災死した女学生10人の追悼会が27年ぶりに開かれ」ました。
「同級生らに呼び掛けた同高2年生の川崎花笑(はなえ)さん(16)は『戦争の悲惨さや愚かさを体験した人だけで終わらせてはいけない』と」開催にあたって話されていました。
川崎さんは、どうしてこうした活動をされたのでしょうか?「川崎さんは7月に第23代高校生平和大使に選ばれたが、新型コロナウィルスの影響で街頭署名など主だった活動ができなかった。『身近なところから何かできないか』と、(鹿島高校の)記念誌をめくった。同年代の女学生が空襲の犠牲になり、高校の近くには慰霊碑があることを初めて知る。慰霊碑の除幕式があった1993年を最後に追悼式典が開かれていないことも判明した。『もっと学びたかっただろう。悔しくてつらかっただろう』。8月末、川崎さんは追悼会を開こうと決意」されたそうです。〜なるほどそうでしたか!ほんとに忘れてはいけないことですね。
(下:2020年10月24日西日本新聞-河野潤一郎「戦災死の先輩 忘れない 佐賀・鹿島高 空襲で10人死亡 後輩発案、27年ぶり追悼会」より)
〜〜 追悼会の模様については、以下のような記事がありました。
「太平洋戦争終結から75年。当時、鹿島高等女学校などに通い、学徒動員先で亡くなった戦没者の追悼会が行われ、遺族や同窓生たちが平和への誓いを新たにしました。戦没者の追悼会は、1993年を最後に、会が途絶えていることを知った高校生平和大使で、鹿島高校2年の川崎花笑さんの呼び掛けで、生徒会が企画しました。27年ぶりに行われた追悼会には、遺族や同窓生、鹿島高校の生徒など、およそ60人が出席し、学徒動員先での空襲などで亡くなった戦没者10人に黙とうを捧げました。 【鹿島高校2年・川崎花笑さん】「(遺族の人や戦没者の同窓生に)『ありがとう』って言ってもらえることがあって、それが1番うれしかったです。今日行うことには意味があったと思って、やってよかったと思いました」 【戦没者の同窓生】「高校生の皆様が追悼会を思い立ってくださったって聞いて、本当に涙が出るほどうれしく思いました」 献花台には、菊の花がささげられ、平和への誓いを新たにしました。
(サガテレビデジタルニュース10月24日号全文より)
「同級生らに呼び掛けた同高2年生の川崎花笑(はなえ)さん(16)は『戦争の悲惨さや愚かさを体験した人だけで終わらせてはいけない』と」開催にあたって話されていました。
川崎さんは、どうしてこうした活動をされたのでしょうか?「川崎さんは7月に第23代高校生平和大使に選ばれたが、新型コロナウィルスの影響で街頭署名など主だった活動ができなかった。『身近なところから何かできないか』と、(鹿島高校の)記念誌をめくった。同年代の女学生が空襲の犠牲になり、高校の近くには慰霊碑があることを初めて知る。慰霊碑の除幕式があった1993年を最後に追悼式典が開かれていないことも判明した。『もっと学びたかっただろう。悔しくてつらかっただろう』。8月末、川崎さんは追悼会を開こうと決意」されたそうです。〜なるほどそうでしたか!ほんとに忘れてはいけないことですね。
(下:2020年10月24日西日本新聞-河野潤一郎「戦災死の先輩 忘れない 佐賀・鹿島高 空襲で10人死亡 後輩発案、27年ぶり追悼会」より)
〜〜 追悼会の模様については、以下のような記事がありました。
「太平洋戦争終結から75年。当時、鹿島高等女学校などに通い、学徒動員先で亡くなった戦没者の追悼会が行われ、遺族や同窓生たちが平和への誓いを新たにしました。戦没者の追悼会は、1993年を最後に、会が途絶えていることを知った高校生平和大使で、鹿島高校2年の川崎花笑さんの呼び掛けで、生徒会が企画しました。27年ぶりに行われた追悼会には、遺族や同窓生、鹿島高校の生徒など、およそ60人が出席し、学徒動員先での空襲などで亡くなった戦没者10人に黙とうを捧げました。 【鹿島高校2年・川崎花笑さん】「(遺族の人や戦没者の同窓生に)『ありがとう』って言ってもらえることがあって、それが1番うれしかったです。今日行うことには意味があったと思って、やってよかったと思いました」 【戦没者の同窓生】「高校生の皆様が追悼会を思い立ってくださったって聞いて、本当に涙が出るほどうれしく思いました」 献花台には、菊の花がささげられ、平和への誓いを新たにしました。
(サガテレビデジタルニュース10月24日号全文より)