大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

2013年アジア文化大賞受賞に当たって

2019年12月30日 05時22分19秒 | 日記
  アジア美術館で開催されていました中村哲氏追悼の展示を見にゆきました。中村哲さんは2013年福岡アジア文化大賞を受賞されています。この受賞に至った中村哲さんの活動、灌漑活動で変化したアフガニスタンの現地、各学校訪問や市民セミナーのレポート、受賞にあたっての中村哲さんのお話など、DVD上映され、パネルや写真、パンフレット、書籍等が展示されていました。来られた方々は熱心に見学され、中村哲さん追悼の記帳もされていました。
 以下、パンフレットの中から、受賞に当たっての中村哲さんの感謝と喜びの言葉を紹介します。
 アメリカのアフガニスタン爆撃下でも難民支援を現地の人々と続けられた中村さんは「戦争は絶対に解決になりません。軍事干渉は事態を一層悪くしました。これはアフガニスタンだけの問題でなく、国際社会の暴力化、多様性を許さない画一化の中でアジア全体が貧困にあえいでいます。食糧不足だけでなく、伝統文化や故郷、人間の誇り、そして和を失い、経済発展のためなら手段を選ばぬ『精神と道義の貧困』がまん延しています。自然を思いのまま操作できるという錯覚は、世界に致命的荒廃をもたらします。自然から遊離するバベルの塔はやがて倒れるでしょう。人も自然の一部。あらゆる人の営みが、自然と人、人と人とが和する道を探る以外、生き延びる道はありません。」と話されています。
(下:中村哲さん追悼のパンフレット より)

中村哲さん、大牟田市民栄誉賞 贈呈式10日

2019年12月29日 05時20分35秒 | 日記
 「大牟田市は27日、アフガニスタンで銃撃されて亡くなったNGO·ぺシャワールの会現地代表の医師、中村哲さんに、市民栄誉賞授与することを発表した。」「アフガニスタンの復興と平和に貢献した中村さんの功績をたての授与で、大牟田市では3例目となる」そうです。「来月月10日、市役所で贈呈式が行われ、中村さんの遺族が出席する予定」だそうです。「中村さんは1974年から79年まで大牟田労災病院に勤務、家族が大牟田市で生活しており現地での活動の合間に帰国した時は、家族と共に市内の自宅で過ごされていた」そうです。〜中村哲さんの自宅が大牟田だったことを知る人は少かったと思います。ましてや奥さまや子供さんが地元三池高校卒業生だったこともあまり知られてないことです。
 関大牟田市長は『あらためて偉大な方であったことを痛感するとともに、大牟田市民の誇りでもある』とコメント」されています。「福岡県も27日、中村哲さんに県民栄誉賞を贈ることを発表」しています。
(下:2019年12月28日有明新報-河野美緒「中村哲さんへ市民栄誉賞 アフガン復興に貢献 来月10日市役所で贈呈式」大牟田Tさんより)

幼稚園児、環境ミュージカルで訴える

2019年12月28日 05時21分34秒 | 日記
  「地球の声が聞こえますかー。福岡市東区志賀島にある『ふたば幼稚園』の園児たちが、環境ミュージカル《ぼくたちのほし〜命の地球》に取り組み、おとなたちに熱く訴えた」そうです。「同園の子どもたちは外遊びの時間には毎日のように磯や野山、竹林に行く。虫や海の生き物を見つけ、秘密基地を作る。海山には不法投棄や打ち上げられたプラスチックごみも多い。園児たちは地球探検隊の腕章を着け、ごみを拾い集める活動を20年間続けている」とのことです。「ミュージカルはこうした活動から生まれた」ものだそうです。
「園児たちは地球探検隊や土壌汚染で元気のない森、プラスチックごみであふれる海、地球の変化を気遣う惑星たちを演じた」そうですが?〜面白そうですね〜!どんなストーリーなんでしょうか?
「大好きな志賀島の海、山、生き物たちを守るために手をつなごうー。子どもたちの歌声」が訴えます。
 (下:2019年12月16日西日本新聞-今井知可子「園児が環境ミュージカル東区のふたば幼稚園 年長児23人 海、山でごみ拾い20年 自然の大切さ熱く訴え」 より)

ロバート-キャパの撮った《炭鉱夫たち》

2019年12月27日 05時11分17秒 | 日記
  「戦争写真で知られる報道写真家《ロバート-キャパ展》が田川市美術館(田川市新町)で開催中です。(来年1月26日まで)
展示されている写真には戦争の写真だけでなく、ヨーロッパの炭鉱街や労働者の写真があるそうです。「ヘルメットをかぶった真っ黒い男たち」と新聞で紹介されています。三池の炭鉱労働者と同じ! でも〜ヘルメットの形が違っています。キャップランプも無いようです。
 キャパは「雑誌社の依頼等で」、「ドイツのザールラントに始まり、ベルギーのボリナージュ地方やアントワープ、イギリスのウェールズなど訪れた炭鉱街は多い」そうです。
「キャパが炭鉱労働者に引かれていた理由。それは命懸けの仕事をする姿が、戦場で戦う兵士と重なって見えたからかもしれない」と新聞では推察されています。
 本当に炭鉱労働は命懸けでした!亡くなった方も後遺症で苦しんだ方々も沢山でした。
(下:2019年12月15日西日本新聞<モノクロームの光>ロバート-キャパ展③「命懸け 兵士と重なる《炭鉱夫たち》」より)