大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

園児たち、博多山笠をお勉強

2020年08月31日 05時26分05秒 | 日記
 「新型コロナウィルスの影響で(博多祇園)山笠行事は来年へと延期され」ましたが、「福岡市早良区の紅葉幼稚園の園児61人が24日、同市博多区の櫛田神社を訪れ、常設されている博多祇園山笠の飾り山を見学した」そうです。「博多の伝統文化を知ってもらおうと初めて企画」されたもので、飾り山を「制作した博多人形師中村弘峰さん(34)が講師役を引き受け、山笠の由来や人形の材料などを説明」されたそうです。弘峰さんが制作した〈見送り〉は桃太郎の鬼退治が題材。新型コロナ禍に触れ、『病気をみんなで克服していこうという願いを込めました』と」人形制作の思いも紹介されたそうです。「園児たちは子鬼9体を見つけようと食い入るように見上げ」ていたとのこと〜全部見つけられたでしょうか?「弘峰さんは博多手一本の仕方も教え」られたそうです。子どもたちはたくさんの勉強をしました!良かったね〜。
(下:20208月25日朝日新聞-貞松慎二郎「園児ら櫛田神社の飾り山見学 『博多の夏』お勉強」より)


廃棄タイヤでビーチサンダル

2020年08月30日 05時22分47秒 | 日記
 「三陽商会はブランド【ECOALF(エコアルフ)】として、廃棄タイヤをリサイクルした〈タイヤビーチサンダル〉を売り出した」とのことです。〜「廃棄タイヤ」というと野ざらし山積みになっていて厄介もの扱いだったのでは?
「再生が難しいとされる廃棄タイヤを耐久性があり歩きやすいサンダルにした」そうです。「鮮やかなカラーリングと、バニラエッセンスの香り付が特徴」だそうで、〜それじゃ古タイヤのゴムの匂いもしないんですね!「全11色で各税込み4950円」とのことです。〜百金、ダイソー等では100円で手に入るビーチサンダル、高い!!というだけでは評せないようです。どうしてこうした商品の発売をされたのか?等など詳しくホームページで紹介されていました。
(下2020年8月21日朝日新聞「廃棄タイヤで丈夫なサンダル」より)

ホップな絵を見て、旅する気分に

2020年08月29日 05時22分19秒 | 日記
 「温かな色使いとポップなデザインで注目を集めているイラストレーター、高城琢郎さん(31、神奈川県在住)の作品展『ロード』が、福岡市中央区大名の【CARBON COFFEE ART OF LIFE】が開かれている」そうです。「〈旅〉をテーマに描かれた約40点が並び」、「まるでロードムービーを見ているような気分にさせてくれる」そうです。「九州での初個展で」、「コロナ禍で旅行を自粛している人も多いと思うので、絵を見て旅している気分になってもらえたら」と話されています。*展示は9月6日まで
(下:2020年8月19日西日本新聞-永松幸治「絵を見て旅する気分に イラストレーター高城さん九州初個展 福岡市・大名 まるでロードムービー」より)

【広報いとしま】に鎌田誠一と魯迅の交流、掲載

2020年08月28日 05時22分04秒 | 日記
 糸島市の【広報いとしま】は「毎年、〈終戦の日〉(8月15日)発行の号に『戦争と平和』を考える記事を掲載」され、注目されています。
「今年は戦後75年目の節目。」担当者は『ありきたりではない題材を取り上げたい』と考え、」「2018年に『上海を見ていた墓 魯迅と鎌田誠一』(藍天文芸出版社)を出した横地剛さん(77)らに取材」され、「中国の文豪魯迅(1881〜1936年)を上海事変当時の混乱の中で守った糸島出身の日本人」、「旧制糸島中(現・県立糸島高)卒業生の鎌田誠一さん(1906年〜34年)」の活躍を知り、「8ページにわたり2人の特集を組」まれたとのことです。
「鎌田さんは24歳の時に上海に渡り、就職先の内山書店で魯迅と出会う。書店には郭沫若や谷崎潤一郎ら日中の著名人が出入りし、日中文化交流の場になっていた」そうです。鎌田さんは「魯迅が企画した3回の版画展の準備を任され」たり、「魯迅の一家を外国人租界にかくまい、自分は魯迅のアパートに残って資料を守るなど、戦火の中で懸命に文豪を支えた」とのことです。
「母校の糸島高には2007年に関連写真や資料を集めた『魯迅と鎌田誠一』のコーナー」も設置されているそうです。
広報誌の「担当者は『戦火が広がる中、
敵国同士の2人が結んだ絆に思いをはせてほしい』と話」されています。
*【広報いとしま】は市のホームページでも読めるそうです。
(下:2020年8月23日朝日新聞-鳥居達也「戦火 魯迅を守った無名の日本人 上海事変で一家と資料かくまう 糸島出身の鎌田誠一さん」より)


「特攻」前夜の遺書、公表

2020年08月27日 05時22分10秒 | 日記
 「『今、淡暗き国分基地の電灯の下にてこの遺書を認む』ー。鹿児島県国分基地から出撃、米艦に特攻し戦死した福岡県大牟田市出身の末藤肇(はじめ)少尉(当時24)は、死を前にした特攻前夜の心境を8枚の便箋につづった。戦後75年を経て初めて公開された遺書は、検閲を免れるよう手配して遺族に届けられたとみられる。」そうです。「遺書は弟の是明さん(77、大牟田市甘木)が父與助さん(1980年84歳で死去)から譲り受けた」モノだそうです。「戦後75年の節目に『戦争の悲惨さを忘れないでほしい』と公表を決めた」とのことです。
 遺書に書かれた内容は記事に紹介されていますが、やはり気になったのは〜
「今咲き誇る桜花のごとく散りゆかん『国の為何か惜しまん若桜 散って甲斐ある命なりせば』」とある「遺書の終盤にある辞世の歌」です。「父は『桜を見ると肇を思い出す』といって、庭の桜の木を切った。これを読むと、父の気持ちが身にしみる」と是明さんは話されています。
(下2020年8月18日西日本新聞〈戦後75年〉欄「特攻前夜の告白 大牟田出身・少尉遺書に作戦内容 4月5日午前十時、大牟田上空を通過せしは小官 4月6日の午後三時より五時、体当たりを敢行す」より)