大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

炭鉱電車の走った土手~桜の古木も残そう

2013年10月08日 15時42分08秒 | 日記
◆炭鉱電車の走った土手~桜の古木も残そう
 ガード東側は整備され憩いの場ともなりました。  
ところが、茶塘のランチタイム、          <市民花壇>   <植樹された桜>
ガードの西側にあるサクラの古木が伐採されるという
ニュースが飛び込んできました。           
しかも10月7日(月)に工事開始だそうです。   <工事用機械?> <石垣が壊れています>
東側では市民花壇を作り、桜の植樹もしているのに、
西側では100年の桜の古木を伐採する! 
何か矛盾しています。  
早速、隣近所や通行人の方々にお話しを聞きました、
何で!? 勿体ない!
あの土手には昔はまだ桜が何本かあつて、あれだけが残っているのに! 
春にはキレカったもんね! 
イヤ―そりゃいかんばい。なしてかん? 
石垣の崩れかかっとるちゃ言うてん、何か良か方法の有ろうもん。
くずす金のあるなら、生かす手立てに使わんば!

100年の計で生き残った三池港。
100年の歴史を刻んだ炭都大牟田は
世界文化遺産登録を目指して活動中です。
炭を黙々と運んだ炭鉱電車。
その土手に植えられた時も思いが込められたはず。
さしてこれまで咲き続けてきた桜の古木。
その歴史を見つめ、辛い時もあった炭都の人々を
わー綺麗!と喜ばし励ましてきた桜の古木。

伐採をとめてください。

土手の石垣が崩れた原因は?
桜の古木の命を守っていくには何が必要?
皆で良い知恵を出し合いましょう。

炭鉱電車の走った土手~「市民花壇」完成

2013年10月08日 15時18分37秒 | 日記
◆大牟田商工会議所の
「大牟田市中心市街地グランドデザイン」の主要事業の一つとして
三池炭鉱専用鉄道浜線跡の憩い空間整備計画があります。
この度、浜線跡緑化協議会により、栄町に市民花壇が完成しました。
10月4日には完成記念式典が開催されました。
通称-ガード下公衆トイレ-の東側です。
この市民花壇にはソメイヨシノ(桜)、
ヒラドツツジ、ガザニアが植えられ、
共同で水やり、草取りなどの作業をしていくそうです。
(有明新報 菅嶋公尚 2013/10/05 号より)
皆で大事にし、散歩道、憩いの場として
楽しみましょう。




「えるる」オープン・イベント 駐車場市場

2013年10月08日 10時07分58秒 | 日記
「えるる」2階会場での記念式典が終わり、1階へ移動。
ひょっと外を見ると、「えるる」裏の駐車場では    
テントが組み立てられ、市場の準備が始まっています。
早く見に行かなくちゃ、、無くなってしまう、、
で、市場をぐるっと、わー美味しそう!
ありあけ新世高校てっぱん部のお好み焼き
白光中クッキーにも出会えました。
いろいろ買いこんで、
「茶塘」でランチ・コミュニケーション。
食べたり、お茶して、駄弁ったりでした。
        
 鯵の南蛮漬け(5匹200円)いわしの煮つけ(5匹200円)から揚げ弁当(250円)
 高野豆腐と昆布の煮つけ(100円)も デリシャスでした。
 材料費や手間を思うと、申し訳ないくらい安い!
 有難うございました。感謝感謝!

「えるる」オープン・イベント(1) 記念式典

2013年10月08日 00時27分38秒 | 日記
10月5日、新栄町の大牟田市市民活動多目的交流施設
愛称「えるる」がオープンし、
「えるる」は沢山の風船で飾られ、
沢山のカラフルな夢でふわふわ!
利用者・市民の交流・結び・絆
そして開く花や果実が表現されています。
風船アートです。

10時から記念式典が開催されました。
市長挨拶、多くの方々の祝辞の後、
愛称募集の受賞者の表彰があり、   
「えるる」の名付け親となった
友久健さんをまじかに見ることができました。





三川鉱爆発から50年(2)  初の慰霊祭開催

2013年10月07日 23時20分34秒 | 日記
◆10月7日の西日本新聞は以下のとおりです。

<三川鉱爆発50年 初の慰霊祭開催
大牟田市 企業と合同  >

福岡県大牟田市は、6日、死者458人を出した三井三池三川鉱の炭じん爆発事故から50年となる11月9日、三川鉱跡で慰霊祭を取り行う方針を固めた。市や企業などでつくる実行委員会が主催する形で準備を進めており、行政が慰霊祭に関わるのは今回が初めて。
古賀道雄市長は当初、「民間の事故」として慰霊祭に消極的だったが、「炭鉱の負の歴史にも向き合うべきだ」とする市民の声が強まり、方針転換した。
 関係者によると実行委には、事故を起こした三井鉱山の事業を引き継ぐ日本コークス工業(東京)、大牟田商工会議所などが名を連ねる見通し。当日は、普段は閉鎖している三川鉱跡を公開し、献花台も設ける。
 慰霊祭については、日本コークス工業も「これまで聞いたことない」としている。三池炭鉱の二つの労組は熊本県荒尾市の寺や、大牟田市の公園にそれぞれ慰霊碑を建立し、別々に営んできた。
 古賀市長は西日本新聞の取材に対し、慰霊祭の開催に踏み切った理由について「市民の声は無視できない。悲惨な事故の記憶も後世に伝えなければならない」と語った。
  (西日本新聞 御厨尚陽 2013/10/7より)

◆作家の西村健(48)さんは
「事故という負の歴史こそ、後世の教訓となる遺産。
50年の節目は追悼式などをして、歴史を継承する機会と位置づけるべきだ」
と話されました。
古賀市長は「悲惨な事故の記憶も後世に伝えなければならない」
と話されたそうです。
含蓄あるお話と思います。
市民の声の強まりがあって生まれた慰霊祭開催です。