9月12日、午前中は博物館として公開されているアメリカ海軍を退役した空母 「Midway」を見物し、 午後は州立公園「Old town State Histric Park」の見物をして、3日目の夜は「Super8」から「Old town Inn」へと宿を替えまして、サンディエゴでの3泊目の夜を迎えました。
その日の夕方のこと、宿の部屋でくつろいでいると、ロスでの訪問先にしている知人の娘さんから電話が入りました。 「今どこですか?」で始まった電話の会話が 「おじちゃん、私さ~ 交通事故に遭っちゃってね・・・」 とシリアスな話に変わっていきました。 なにやら”9.11”の日のこと、ロス市内は常に無く警察車両が多い日で、 あろうことかそんな警察車両が追突して来て、 そのあおりで前に居た車との間に挟まれ押しつぶされ 「車は修理不能、買いなおしたほうが安い」と言われるほどに前後が損傷する事故に遭ってしまったという。 幸い本人の命に別状はなく、通院で済んでいるとの事なのでホットしましたよ。
そんな「9.11で厳重警備」があった事などコレッポッチも感じないまま、 9月12日はサンディエゴ市内見物に明け暮れていました。 空母 Midway はベトナム戦争に加わり、横須賀を母港にしてた事もありますから、名前に聞き覚えがある人もいるでしょう。 ニューヨークのハドソン河の河畔にも第2次世界大戦を戦った空母が展示されていて、それも見た事ありますので、空母の見物は2艦目です。 だからつい比較してしまいます、 NYのそれは「ジャップ」の蔑称言葉が使われている映画上映がありましたが、 ここサンディエゴのMidway 艦内ではそんな映画の上映はありませんでした。 そしてNYではユダヤ教の黒い服装した見物客が結構多いと感じたものでが、
この日のMidwayの飛行甲板では海軍さんの何か表彰式が有ったようで、 晴れやかな服装した、家族を伴った白い制服姿の軍人さんたちが集まる一画がありました。
艦内のあちこちでは年齢のいった退役軍人さんがボランティアとして案内係りをやってくれていました。 艦橋のツアーを担当してくれた方はパイロットだったそうで、 戦闘になると「昼間は45秒間隔くらいで発進、夜間でも1分間隔で発進させる、 だから管制担当は大忙しだった」 とか、 空母の喫水は深くって、 停泊させる場所への誘導も湾内の水深など専門知識がある人が務める、 そんな技術的な話を多くしてくれていました。 また展示飛行機の傍らに居た方は年配の見物客との間で「私は生きて帰ってきましたが、仲間には・・・」みたいな話をしていたり。
ここは見物対象の一つ格納甲板と、そこに置かれた航空機の様子です
それと飛行甲板上に並べられたジェット機やヘリコプタ、広大な飛行甲板も見ものですが、 狭い階段を登って行くブリッジ内部もそれなりの見物でした。
これは飛行甲板上に展示されていた兵員輸送用ヘリコプタ内部に張られたケーブル群です。 こんなの見ると、担当したことのある大型電子顕微鏡の周辺のケーブル群を懐かしく想いうかべてしまいます。 コネクタも当然MIL規格の形と色の物でした。
空母博物館の場所はサンディエゴの繁華街・ブロードウエイの通りが丁度、海にぶつかった辺りの岸壁です。ちなみにシニア(62歳以上)入場料金は16$、 空母に隣接した駐車場の料金は10$でした。
昼食は近くのシーフードレストランで摂り、 その後は購入してから20年以上経過してしまったトラベラーズチェックの換金を大手の銀行窓口に立ち寄っておこないました。 この換金の様子は後日あらためて書いてみるつもりですが、凄く手間どり困りました。
ついで訪れた州立公園「Old Town」は高速道路 I-5とI-8のジャンクション近くにあって、 中にはお土産屋と古い時代の家並み、 芝生の広場、 メキシコ料理のレストラン、 小さなコーヒー店などが集積された、 テーマパーク的な雰囲気のところでした。
メキシコ料理のレストランでは楽器を持った3人グループが無料で客の居るテーブルの脇で演奏しては次のテーブルに行って生演奏をしてくれていました。 更にメキシコ関係のお土産屋が軒を連ねる一画ではそれっぽい音楽を奏でながら、CD売っていたりで、それなりに楽しめる所でした。
入場者の顔ぶれは、小さな子供をベビーカーに乗せたファミリー、 おのぼりさん的な高齢者のグループ、 若い中学生くらいの年代のグループと多種多様、 幅広い層の人が楽しんでいましたよ。
その日の夕方のこと、宿の部屋でくつろいでいると、ロスでの訪問先にしている知人の娘さんから電話が入りました。 「今どこですか?」で始まった電話の会話が 「おじちゃん、私さ~ 交通事故に遭っちゃってね・・・」 とシリアスな話に変わっていきました。 なにやら”9.11”の日のこと、ロス市内は常に無く警察車両が多い日で、 あろうことかそんな警察車両が追突して来て、 そのあおりで前に居た車との間に挟まれ押しつぶされ 「車は修理不能、買いなおしたほうが安い」と言われるほどに前後が損傷する事故に遭ってしまったという。 幸い本人の命に別状はなく、通院で済んでいるとの事なのでホットしましたよ。
そんな「9.11で厳重警備」があった事などコレッポッチも感じないまま、 9月12日はサンディエゴ市内見物に明け暮れていました。 空母 Midway はベトナム戦争に加わり、横須賀を母港にしてた事もありますから、名前に聞き覚えがある人もいるでしょう。 ニューヨークのハドソン河の河畔にも第2次世界大戦を戦った空母が展示されていて、それも見た事ありますので、空母の見物は2艦目です。 だからつい比較してしまいます、 NYのそれは「ジャップ」の蔑称言葉が使われている映画上映がありましたが、 ここサンディエゴのMidway 艦内ではそんな映画の上映はありませんでした。 そしてNYではユダヤ教の黒い服装した見物客が結構多いと感じたものでが、
この日のMidwayの飛行甲板では海軍さんの何か表彰式が有ったようで、 晴れやかな服装した、家族を伴った白い制服姿の軍人さんたちが集まる一画がありました。
艦内のあちこちでは年齢のいった退役軍人さんがボランティアとして案内係りをやってくれていました。 艦橋のツアーを担当してくれた方はパイロットだったそうで、 戦闘になると「昼間は45秒間隔くらいで発進、夜間でも1分間隔で発進させる、 だから管制担当は大忙しだった」 とか、 空母の喫水は深くって、 停泊させる場所への誘導も湾内の水深など専門知識がある人が務める、 そんな技術的な話を多くしてくれていました。 また展示飛行機の傍らに居た方は年配の見物客との間で「私は生きて帰ってきましたが、仲間には・・・」みたいな話をしていたり。
ここは見物対象の一つ格納甲板と、そこに置かれた航空機の様子です
それと飛行甲板上に並べられたジェット機やヘリコプタ、広大な飛行甲板も見ものですが、 狭い階段を登って行くブリッジ内部もそれなりの見物でした。
これは飛行甲板上に展示されていた兵員輸送用ヘリコプタ内部に張られたケーブル群です。 こんなの見ると、担当したことのある大型電子顕微鏡の周辺のケーブル群を懐かしく想いうかべてしまいます。 コネクタも当然MIL規格の形と色の物でした。
空母博物館の場所はサンディエゴの繁華街・ブロードウエイの通りが丁度、海にぶつかった辺りの岸壁です。ちなみにシニア(62歳以上)入場料金は16$、 空母に隣接した駐車場の料金は10$でした。
昼食は近くのシーフードレストランで摂り、 その後は購入してから20年以上経過してしまったトラベラーズチェックの換金を大手の銀行窓口に立ち寄っておこないました。 この換金の様子は後日あらためて書いてみるつもりですが、凄く手間どり困りました。
ついで訪れた州立公園「Old Town」は高速道路 I-5とI-8のジャンクション近くにあって、 中にはお土産屋と古い時代の家並み、 芝生の広場、 メキシコ料理のレストラン、 小さなコーヒー店などが集積された、 テーマパーク的な雰囲気のところでした。
メキシコ料理のレストランでは楽器を持った3人グループが無料で客の居るテーブルの脇で演奏しては次のテーブルに行って生演奏をしてくれていました。 更にメキシコ関係のお土産屋が軒を連ねる一画ではそれっぽい音楽を奏でながら、CD売っていたりで、それなりに楽しめる所でした。
入場者の顔ぶれは、小さな子供をベビーカーに乗せたファミリー、 おのぼりさん的な高齢者のグループ、 若い中学生くらいの年代のグループと多種多様、 幅広い層の人が楽しんでいましたよ。