今朝のテレビでは献血をテーマにした番組を放送していた。 それを見て、 僕のたった一度の献血経験を書いてみる気になった。
[ 輸血を受けた時 : 26歳の頃 ]
群馬県の武尊スキー場で転倒して大腿骨骨折の怪我をしてしまった。 親戚の知り合いが実家に近い藤岡市で外科医を開業している人がいて、 そこまでタクシーに乗せられて入院した。 その時は骨髄の中にL型の長い金属棒を挿入して固定する手術を受けたのだが、 その手術にあたり人生で初めての献血を受けた。
その時には親戚のオジサンが献血カードを数枚集めて持って来てくれて、 それなりの血液で輸血をしてもらえたらしい。
[ 血液を提供した時 : 28歳の頃 ]
母親が癌を患い、手術を受けて退院して自宅で暮らしていた時期のこと。 手術を受けて1年経過した頃に再発し、 自宅で血便を垂れ流す状態で亡くなった。 家の近所の医者が往診してくれていたのだが、 「新鮮な血液を輸血してあげた方が良い」そんな話があって、 「もう臨終が近い」と電話を貰って実家に帰っていた僕も血液を提供する事になった。
しかし、 真っ黒い悪臭を放つ血便を出す母親を見ていた僕は、「輸血しても無駄なんだろうな・・・」そう思いつつも血を抜かれたものだった。
まあ後になって考えてみれば、 母にモルヒネみたいな痛み止めの注射をしてくれていたその医者が、 「家族にも出来るだけの事をした」 そんな気持ちを持たせるための「輸血と言う儀式」であったのだろう想う様になった。
それ以降、 僕の人生一度も献血をしていない。
僕が勤務していた職場には子育て真っ盛りの女性社員のAさんがいて、 二十歳頃から毎年連続して献血していることを誇りにしている女性だった。 そんな事も懐かしく想い出す。
[ 輸血を受けた時 : 26歳の頃 ]
群馬県の武尊スキー場で転倒して大腿骨骨折の怪我をしてしまった。 親戚の知り合いが実家に近い藤岡市で外科医を開業している人がいて、 そこまでタクシーに乗せられて入院した。 その時は骨髄の中にL型の長い金属棒を挿入して固定する手術を受けたのだが、 その手術にあたり人生で初めての献血を受けた。
その時には親戚のオジサンが献血カードを数枚集めて持って来てくれて、 それなりの血液で輸血をしてもらえたらしい。
[ 血液を提供した時 : 28歳の頃 ]
母親が癌を患い、手術を受けて退院して自宅で暮らしていた時期のこと。 手術を受けて1年経過した頃に再発し、 自宅で血便を垂れ流す状態で亡くなった。 家の近所の医者が往診してくれていたのだが、 「新鮮な血液を輸血してあげた方が良い」そんな話があって、 「もう臨終が近い」と電話を貰って実家に帰っていた僕も血液を提供する事になった。
しかし、 真っ黒い悪臭を放つ血便を出す母親を見ていた僕は、「輸血しても無駄なんだろうな・・・」そう思いつつも血を抜かれたものだった。
まあ後になって考えてみれば、 母にモルヒネみたいな痛み止めの注射をしてくれていたその医者が、 「家族にも出来るだけの事をした」 そんな気持ちを持たせるための「輸血と言う儀式」であったのだろう想う様になった。
それ以降、 僕の人生一度も献血をしていない。
僕が勤務していた職場には子育て真っ盛りの女性社員のAさんがいて、 二十歳頃から毎年連続して献血していることを誇りにしている女性だった。 そんな事も懐かしく想い出す。