一昨年だったか昨年だったか、 小学校教育の中にパソコンでの初歩的なソフトウエア作成の時間が設けられる話を聞いた。 それが、 ここ最近では高校の教科に「情報」なる科目新設のニュースを見聞きする。 AI なる言葉が全盛になりつつある今の時代にそれを理解し、 応用した製品開発、 あるいは社会システムへの適用が出来る人材の不足を解消する事を目的とするようだ。
英語教育の小学校からの開始への取り組みなんて話も聞いてから、 すでに何年経過したのか? 忘れてしまい、 今どうなって居るのか知らない。
そんな新たな取り組みの話を聞くたびに思うこと・・・
「教える教師の能力」 と 「授業を受ける側の生徒の意識」そんなのが不十分なままに「授業科目を増やしても大した効果は上がらないだろう」と強く感じる。
工業高校時代の数学、 それも後半になってからの微分・積分なんて 「こんなの社会に出てから使うこと無いだろう!」 そう勝手に判断してろくすっぽ勉強しなかった。 だから、 その時の数学の試験の点数は40点以下だった。 そんな点数をだった生徒の人数が多かったためか? 答案を返す数学の教師の言い放った言葉を60年ほど経過した今も鮮明に覚えている。
「試験の点数が悪かったからと言って君たちを
落第・留年させる事はしない!」
「税金の無駄だから!」 (非常に明快な理由ですね。)
英語や情報、 そんな教科の授業を受ける時に生徒達は何を感じるのだろうか? 何かの必要を感じて勉強する事はあっても、 興味を持って前向きに、自主的に勉強するなんて僕には考えられない。 必要性について言えば、 次の段階の教育課程を受けるための入学試験に合格する必要性を感じて仕方なく勉強するってところじゃ無いですかね? それも「大学を目指す学生の大半の目的は青春真っ只中の時期に家族公認のもとで遊びまくる時間を得る」ないしは「大都会での一人暮らし」が主目的じゃないだろうか。 そんな考えを持っていた僕だから大学受験を控えた高校時代の息子に宣言したこと。
「大学の入学試験に現役で合格しない場合はそれだけの能力」
「以後の教育は無駄!」
・・・ だから
「浪人生活しての再受験などの費用は出さない」
「嫌なオヤジ!」 そう感じたであろう息子が自分の子供の教育に対してどんな行動を見せるのか? 興味深々ではあるけれど、 孫の成績表なんか一度も見ていないし、 「見せてくれ」と頼んだ事も無い。
さて、 ダラダラ書き始めたこの記事をどう纏めたものだろう?
学生の時代でも、 仕事に就いてからでも、 自主的に興味を持って知識を取得する。 それが一番効率的と考えている僕なのだが、 その際の知識吸収の阻害要因、 特にソフトウエア開発の際に感じた事を羅列して終わりにしよう。
1. 自宅で自習用にソフト開発環境を整える際の費用が比較的高価
C コンパイルソフト購入金額
解説本の価格。(Top画像)
2. 図書館にソフト開発の専門書籍の蔵書なし。
Word、Excelの操作解説本程度の蔵書が大半。
3. ソフト開発関連書籍の価格、 用語、 誤植など
「クラス」の単語で何をイメージ出来ますか?
4. 開発ソフトのバグ
正規に購入した開発ソフトならメーカーにメールなどで
問い合わせて対処可能。 しかし・・・
意識してバグを残したまま発売しているんじゃないか?
そんな邪推をしたくなる場合も多かったです。
5. 本を読んで判らない点を教えてくれる人を持てるか?
僕のメインの職種は電気回路のハードウェア設計。
社内にはソフト開発専門部署があった。
ソフト開発上での判らない事は教えてもらえたのだが・・・
人間関係の難しさを時々経験しましたよ。
学生時代に身につくはずの読解力(日本語・英語とも)は必須。
参考書を購入する資金力。
Windows上で動作するハードウエア動作チェックソフトを自作
していた時期には月々2万円程も自費を使っていましたね。
人から物を教えてもらう時の人間関係。
何か一つの事をまとめ上げる時には沢山の能力と言うか人の支援が必要なのですよ。 当たり前ですけどね。