「先日の白馬での遭難、ありゃ、何ですか!?」 ブログを見てくれている友人から、そんな書き出しで始まるメールが届いた。 その中で『こんな経験を思い出しました』と昔話を語ってくれた。
今から四十数年前の春、大学の三年生の時(山岳部合宿)六人で、あの遭難地点より少し下った所でテントを張っていました。 強風で私達のテントはポールが曲がり、破れる寸前! 二日間テントの中に閉じ込められ、三日目に四年生の先輩がどうしても就職で下山しなくてはと、悪天候の中を白馬乗鞍を越え下山途中、白馬の有名なホテルの主人と男二人、女ひとり(遭難者計四人)を偶然発見し、救助活動をし、命を救ってあげました。
命は助かったから良かったとはいえ、ホテルの主人は両手の指を二本残したのみ、もう一人の男性は両手を失う大事故でした。 後日、警察から表彰されアルバムをもらいました。
先輩が、「白馬のあのあたりは、日本で一番風が強い尾根のひとつだ!」
「ヒマラヤと同じだ!」と、言った。
『どうしてですか?』 と聞くと、
”日本海から吹いてくる風はいったん吹き出すと、ルンルン気分で、白馬の尾根を、喜びながら走ってくる。”
”考えてみろや、木なんてありゃしないし、雪でつるつる斜面だよ! みんな吹き飛ばしてしまう。”
・・・ そう言われたことを今でも忘れません。
五月の白馬の天気は、そんな酷い日もありゃ、 半袖、半ズボンでヘリコプタースキーで白馬乗鞍から滑走出来る日もある。
実は、小生、四日は午前中、五竜でボードをやっていました。
午後は天気が悪くなってきたので、早めに終了。
多分そのころ、生死の境をさまよっていたのでしょうか。
そして文末は 『一応、お悔やみを!』 で締めくくられていました。
今から四十数年前の春、大学の三年生の時(山岳部合宿)六人で、あの遭難地点より少し下った所でテントを張っていました。 強風で私達のテントはポールが曲がり、破れる寸前! 二日間テントの中に閉じ込められ、三日目に四年生の先輩がどうしても就職で下山しなくてはと、悪天候の中を白馬乗鞍を越え下山途中、白馬の有名なホテルの主人と男二人、女ひとり(遭難者計四人)を偶然発見し、救助活動をし、命を救ってあげました。
命は助かったから良かったとはいえ、ホテルの主人は両手の指を二本残したのみ、もう一人の男性は両手を失う大事故でした。 後日、警察から表彰されアルバムをもらいました。
先輩が、「白馬のあのあたりは、日本で一番風が強い尾根のひとつだ!」
「ヒマラヤと同じだ!」と、言った。
『どうしてですか?』 と聞くと、
”日本海から吹いてくる風はいったん吹き出すと、ルンルン気分で、白馬の尾根を、喜びながら走ってくる。”
”考えてみろや、木なんてありゃしないし、雪でつるつる斜面だよ! みんな吹き飛ばしてしまう。”
・・・ そう言われたことを今でも忘れません。
五月の白馬の天気は、そんな酷い日もありゃ、 半袖、半ズボンでヘリコプタースキーで白馬乗鞍から滑走出来る日もある。
実は、小生、四日は午前中、五竜でボードをやっていました。
午後は天気が悪くなってきたので、早めに終了。
多分そのころ、生死の境をさまよっていたのでしょうか。
そして文末は 『一応、お悔やみを!』 で締めくくられていました。