・・・昨日の朝刊朝日新聞の記事に「退職したけれど?」と云う記事があった。
・・・61歳の現役を退いて一か月しか経過してない女性の「思い」が書いてある文章である。
退職後には誰しも感じることであるという上目線での思いとともに理解できた文章とは
「市の主催する体操教室に行った。・・・・・久しぶりに汗をかいたが、気持ちは複雑であった。 昨日までは気を張って・・・・働いていたのだ。
一気に年をとってしまったような言いようのない動揺と寂しさに包まれた。」と云う文章のくだりである。
・・・翻って、私の場合は、かなり覚悟して、退職後に備えたことと、幸い趣味に過ごす時間が多くて、悩む時間は少ないのだが、フト、空いた時間に、心に出来た"隙間"を感じることがある。それは何であるのか、

「エーゲ海クルージングの思い出の絵」
・・・現役時代は、起きている時間は、開放感のない気持で占められる時間で、土日に感じる開放感のある時間が、日常でもっと得られればどんなに幸せか、と現役で働いている時には、ずっと思って来た。
また、私の嫌な仕事である、人とのかかわりあいで自分の気持ちを殺す瞬間が無くなれば、いかに心地よい毎日かと思って来た。
・・・今の生活は上に掲げたことが、実現出来たので、私なりに、心地よい毎日の時間を送っている。
しかし、人間の慾は際限なく深いので、現役時代の良かったこと、たとえば、仕事を成し遂げた時の達成感、充実感がなかなか、得られないことに不満を持つこともある。
・・・人間は何か目的を持って、自分の気持ちややりたいことを成し遂げるために努力し、結果を積み上げて達成感、充実感を得て毎日を過ごすというプロセスが気持の上で大切なようです。
・・・達成感、充実感は与えられた課題、目標に対して得られるものである。
しかし、人によって、その生活環境によって課題、目標は違う。
「私の場合は、自分にとっての課題、目標は何だろうか」と思って退職以来、ずっと考えている。
今のところ、その事に関してのヒントとして、方法論ではあるが、「自分にとっての課題、目標は」、人とかかわって行く中で、比較することによって、見えてきそうな気がしている。