・・・いつも走っているコース途中に、公共のゴミ焼却場がある。 住宅街から、少し外れたところに在るのだが、そのゴミ焼却場のすぐ横に、付属施設の焼却後の残渣を捨てる場所がある。 下の写真がその残渣を捨てる場所である。
雨が降った後、この残渣の山から、流れ出る水が溜まっている小さな池が、その横にあり、溜まっている池の水の色があまりに鮮やかなのが見ていて、気になる、鮮やかな水の色は何か、重金属が溶け出しているような気がする。 どうしたものかと思っている。
・・・いつも走っているコース途中に、公共のゴミ焼却場がある。 住宅街から、少し外れたところに在るのだが、そのゴミ焼却場のすぐ横に、付属施設の焼却後の残渣を捨てる場所がある。 下の写真がその残渣を捨てる場所である。
雨が降った後、この残渣の山から、流れ出る水が溜まっている小さな池が、その横にあり、溜まっている池の水の色があまりに鮮やかなのが見ていて、気になる、鮮やかな水の色は何か、重金属が溶け出しているような気がする。 どうしたものかと思っている。
・・・作品を作った後に端革が残る。
端革を使って今回はキーホルダーを作った。 キーホルダーはありふれたものではあるが、デザインは葉っぱの形で、葉脈を手縫いの白い糸でアクセントを入れた。
革は黒い色の薄い革と、厚い黄土色の革を貼りあわせて、しっかりとしたものにした。
この手の作品は時間をかけて作っても、貰い手も無く、貯まっていくばかりであるが。
・・・最近は、太陽が出て暖かい間に、外を走ることにしている。 それでも、風が吹くと露出している顔にあたる空気は、厳しい冷たさである。
ジョグの時の服装は風を通さないウインドウブレーカーを上に着、頭と耳は毛糸の帽子で覆い、手は厚めの手袋をしていると、露出をしている顔以外は寒さは気にならない。
しかし、顔だけは何ともならない。 あまり顔を覆う服装をしていると不審者に思われる、 昼、ひなか、眼以外は全てを覆い、住宅街を、ジョギングの恰好と云えど、一人、うろうろしていると怪しまれるに違いない。
したがって、怪しくない程度の服装をすると、どうしても顔を眼だけでなく、大きく露出することになる。 何かいい方法が無いものかと思案するが今のところ妙案が無く、顔を露出して寒風の中を走っている。
・・・毎日ではないが、新聞を読んでいて、切り抜きをすることが在る。 記事の内容は人によって興味は違うのではあるが、つい、身の回りに近い話題については興味を引く。
記事は新聞コラムで筆者は漫画家です。 記事の内容を描いた絵が上の絵です。 キジの一部を抜粋すると、
「ある日、実家に帰ると、父が木彫りの小物作りに夢中だった。筆置き、ペン立て、和菓子用の爪楊枝、・・・・。 はっきり言って、「ちょっと素敵」なのだが、家のなかに「ちよっと素敵」がたくさんありすぎて、なんていったらよいか、「おなか一杯」な、感じ、横目で母を見ると、まったく同じ気持らしいく、「東京に三っつでも、四っつでも持って帰りなさい」と進めてくる。一つだけじゃだめだと眼が云っている。・・・・・ と云うような話のコラムである。
当家も、私の作品がたくさん、積んであるが、家の者は、もちろん、それらを見向きもしない。 中でも、特に、私のサインが入ったものは評判が悪い。 全くコラムの筆者のお父さんと同じような状態なので、このコラムを見て、つい笑ってしまった。
・・・こうして、ブログを書きながら、内容を振り返ってみると、かなりの速度でクラフトをしていることが分かる。
今回は、今までのカメラケースとはデザインを変えて作った。
上の写真のように二色の革を使って、色で、ケースの口にアクセントをつけ、カブセの取っ手のところに、さらにリボンを付けた。
本体に、ケースの厚みのふくらみを持たせるために、下に切り込みを入れてクロスステッチで縫った。 これも特徴のあるデザインになる。
今まで作っていたものより、パーツが少なく、デザインとしては、良いように感じた。
・・・火曜日に「ミニ靴の製作」と云う記事を書いた。 革の作品を作ると中途半端な端革が出来る。 その端革を使って、ミニ版の作品を作ることを思い立ち、今回はミニ鞄を作ることにしました。
同じ事情から生まれたと思われるミニ靴を、イタリア旅行した時、革製品の店のショウウインドウの陳列でみました。
上の写真はローマのトレビノの泉に観光したときに、近くの革製品の店のショウウインドウに飾ってあった、ミニ靴とミニ鞄などです。
しかし、 ローマで見たミニ革製品は、本格的に作ったもので、材料はありあわせの革ではなかった。
上のミニ鞄は先日、私が製作した肩掛けカバンのあまりの革を使って、作りました。
これからも、何回か作れば、さらに、もっと恰好よく作れると思います。
・・・相変わらず健康のために超スローな走りをしている。 45分かけて4㌔ほどを走る、途中景色を楽しみながら、そして写真を撮りながら慣れたコースを走っている。 最近のような寒い季節は誰もいない。 寂しいわけではないが、人とあいさつを交わした方がうれしい。
しかし、天気の良い日はとても景色が良くて、遠くの山に見とれて写真を撮る。
どのように写真を撮っても、同じではあるが不思議と撮る日によって、山の表情は変わる。
千メーター級の山だが、もっと高い日本アルプスのようにも見える。 私は山の見える景色はわ大好きです。
・・・先日の新聞記事に民主主義指数と云う言葉があった。 これはイギリスのメディアが最近何年間か、この数値を発表している。
今回の発表では韓国が躍進して、アジアで一番上位にランキングされたことである。 我々の感じでは以前の韓国の軍事政権のことを考え、官僚の汚職の摘発が多いを聞いていると、とても日本より民主主義が進んでいるとは思えないのであるが。
民主主義指数
順位 指数 選挙 政府 政治へ 政治 市民の
手続き の機能 の参加 文化 自由
1ノールウェイ9.8 10.0 9.6 10.0 9.4 10.0
14 ドイツ 8.4 9.6 7.9 7.2 8.1 9.1
17 米国 8.2 7.9 7.8 7.2 8.1 8.5
18 英国 8.2 9.6 7.9 6.1 8.1 9.1
20 韓国 8.1 9.2 7.9 7.2 7.5 8.8
21 日本 8.1 9.2 8.2 6.1 7.5 9.4
日本の民主主義を今より、良くしようとすると、何が足らないのか、具体的に発表されている民主主義指数の具体的項目で韓国と比べてみると、政治への参加の項目以外は日本の方が良いので、この項目に問題がありそうである。 それをさらに他国と見てみると6.1と云う日本の数値は英国と同じ値で、韓国の7.2と云う数値は米国と同じ数値である。 このことを考えてみると英国と日本は間接民主主義の議院内閣制で米国と韓国は直性選挙で選ぶ大統領制である。
最近、日本でも、現在の政治課題を根本で解決する方法として、直接選挙で首相を選ぶと云う事が政治の話題に取り上げられ事がある、先ほどの民主主義指数の値も考え合わせると、日本の民主主義の問題解決が、少しは、ここに在るのかもしれない。
・・・下の絵を新聞で見て興味がわいたので、詳しく調べてみた。
ざっと見るだけでも、昔の、犬を囲む、穏やかな雰囲気の漂う絵である。 新聞記事の説明を紹介すると、これは「こんぴら狗」と云う主題の絵で、昭和に描かれたらしい。
さて、「こんぴら狗」と云う聞いたことのない言葉であるが、 これは江戸時代の庶民の人生の一大イベントである、神社参拝の憧れである、「讃岐の金比羅山」に事情で行けない人が、犬に代参をさせたことがあったそうである。代参する犬は首に「こんぴら詣り」と記した袋をかけ、その中には、飼い主の名前の木札、初穂料、道中の犬の食費等を入れ、犬は道中の旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話され、金比羅宮にたどり着き、初穂料と引き換えに、お守りを首にかけてもらい、再び、旅人の世話を受けながら飼い主のもとに戻るというお使いをしたらしい。
「金比羅山に犬の元の絵」
これは江戸時代の話であるが、つい50年ほど前までは、こんな犬が日本にはいて、見かけることが在ったらしい。 江戸時代の昔から、こんなことがなされていた、日本と云うのは本当に気持ちが、平和な国民と思える。
・・・先日来、鞄つくりに励んだので、裁断した後に小さな端革が何枚か出た。
それを利用して、長さ55ミリのミニ靴を作った。
作る手間を考えると何足か一度に作った方が良いので、3足を一度に作った。
靴の紐も、端皮を裁断して作った。
型紙に合わせて、裁断し、縫製した。
靴の横に、以前、購入した刻印の犬を打刻した。 今後、犬の刻印を、私の作品に刻印しようと思っている。
・・・過日、宮内庁が考古・歴史系の15学会に、奈良県に在る箸墓古墳と西殿塚古墳の立ち入り調査の許可をする、と云う新聞記事が出ていた。 このブログで、昨年、宮内庁が管理・指定している天皇陵のほとんど(確実に一致するのが約15%)が指定している天皇陵名と実際は一致しないという事を書いた。 そして、原則として、宮内庁はこれらの管理陵墓への、一切の立ち入り調査を許可していなかった。
しかし、新聞記事によると、これらの世間の強い批判に対して、2008年から年に1~2か所、陵墓への立ち入りを認めるようになったらしい。 立ち入りと云っても、発掘や、埴輪の採取などは出来ず墳丘の最下段を歩いて観察するだけらしいが、なんとも、けち臭い許可内容である。
さて、今回、調査される箸墓古墳と西殿塚古墳はいずれも古墳時代前期のもっとも古くて、200m以上の大型の前方後円墳と云われているものです。
箸墓古墳は周囲の溝から発掘された土器年代鑑定や炭素同位分析調査から、西暦250~280年頃に作られたと云われ、それは魏志倭人伝の卑弥呼や台与の時代に合致しているので、卑弥呼や台与の墓とも言われている。
又、西殿塚古墳の製作年代は同じように、考古学的な観点から、西暦300年代初と考えられていて、実在した天皇では一番最初と云われている10代の崇神天皇の墓ではないかと考える。
いずれの考え方も、考古遺物からの推定なので、誰の墓であると云う事は確かなことは言えない。 今回の立ち入り調査も古墳の下回りを歩いて観察するだけの調査なので、この調査によって、新しい知見があるとは思えないが、立ち入ると云う事だけが新しいだけである。
因みに宮内庁は箸墓古墳を第七代孝霊天皇の皇女倭亦迹迹日百襲姫命、西殿塚古墳は26代継体天皇の皇后、手白香皇女として管理している。 第七代孝霊天皇は実在しなかった天皇と考えられている。 又、継体天皇は500年ごろの人なので、古墳の築造年代とは200年も年代がずれる。 と云う事でこの二つの陵墓は、宮内庁が間違った人を当てて、管理していると云われています。
・・・二月の最初に植える野菜はトマトにした。 DYIの店で調べて、この時期一番早く蒔く種と云う事で選んだ。
太平洋側のこの地方では2月からが適期と云う事です。
種の袋には甘くて大玉種と書いてあるので、収穫が楽しみです。
三粒づつ植えたポットを四個準備した。 6月からが収穫期です。 何時、どんな大きさと味のトマトが食べれるのか、毎日の手入れの中で工夫するのが楽しみです。
・・・縫う箇所が多いので、縫う場所の順番の選択とミシン縫製技術が必要になる。
カバンのカブセにミシン縫いで模様縫いをした。
日本の刺し子模様の様なもようをつけた。 工夫したのは限られた大きさの革素材だったので、カバンのマチ部分に使う革は短いものを三枚つなげて使った。
「鞄の表側」
「鞄の裏革にジッパー付きのポケット」
この種類のかばんは三個目の製作で、技術的にも、デザイン的にも、こなれてきたので、自分でも、かなり気に入った鞄に仕上がった。
・・・裁断した革のパーツの縫う作業に入りました。 革は比較的柔らかで、且つ、裏地なしのデザインで作る予定なので、家庭ミシンで縫う事にしました。 縫う作業は手縫いに比べて、早いのですが、ミシンの縫いはじめ、と終わりの糸の始末が大変です。 ポリエステルの糸を使っているので、ミシン縫いの先行端の糸始末は3重結びをして、それを焼きペンで糸を溶かし、固めるやり方をしています。
「縫い終りのポリエステル糸を焼きペンで溶かす」
上の写真のようにバーニングペンで溶かし、指で押さえて固めます。 ふつうの縫いの場合は麻糸で縫いますが、縫い終わりの糸端は二重結びをして、接着剤で固め、結び目は革の厚みの中に潜らせます。
・・・今は一年で一番寒い時期です。 この時期、町内会から、訃報の案内がよく来ます。 会社に勤めていたころも、おなじで、二月、八月は訃報のお知らせの案内が多い時期でした。 その頃と、今と違うのは、会社に勤めていたころは、会社に勤めていた本人の両親の訃報がほとんどでしたが、 今は、町内会から、回ってくる訃報の案内は、本人の訃報が多くなってきた事です。 変な話ですが、自分も、身近に、その時の心構えを考えさせられる案内になってきました。
寒くて、気持ちも縮こまるこの季節に、追い打ちをかけるような訃報は気持ちを暗くさせられます、しかし、考え方を変えると、こうして、何回も、人は辛い出来事を多く受け入れることによって、気持ち穏やかに、毎日を過ごせるようになる、と云う境地に、最近、少し変化してきた様な気がします。