・・・印刷の無かった古代において人は本を書き写して、その本の内容が広まった。
日本では記紀が最初の史書として伝えられているが、いずれも原本はなく写本のみである。
因みに、古事記の最古の写本は真福寺本『古事記』三帖(国宝)である。
そして、写本と云うと忠実に、本を、そのまま写し取った本と理解していました。
しかし、今日の新聞記事の内容によると、そうではないらしい。
最近、紫式部の書いた「源氏物語」の写本で五冊目の藤原定家の写本「若紫」が見つかったという報道があった。
その報道の中に、1200年頃の鎌倉時代の定家の写本より、現在まで一番古いとされていた1481年の室町時代の写本の方が、写本の内容は古いと書いてあった。
なぜ新しい時代の物の方が、内容は古いかと云うと、室町時代に移された写本はマトメ書きと云って、朗読に適した書き方をしているので、源氏物語は古くは朗読していた頃の文体を残しているらしい。
それに比べて、鎌倉時代の写本の藤原定家の写本は黙読用の分かち書きという書き方をしているらしい。
定家は有名な歌人なので、黙読しやすいように、本文と和歌とは文章の行を改めて書いているらしい。
「源氏物語」や「古事記」などは人の前で声を出して朗読するので、音読しやすいように、マトメ書きと云う方法で書かれている。紫式部も、時の一条天皇の前で朗読したと記録されているらしい。
また、古事記の編纂者の稗田阿礼は古い記録を「誦習」していたと書かれている、誦習と云うのはただ暗唱するのでなく、文字資料の読み方に習熟することであったらしい。
即ち、紫式部と同じように文章を声を出して読んでいたと考えられる。
従って、同じ写本でも、定家の様な文学者は彼独特の感性で、小説風に、黙読できる文章に写本を少し代えていたし、古い時代は、文章の中に、文章と歌が混ざっていて、声を出して、朗読しやすいような書き方がされていたので、同じ物語の写本でも、写す人によって、文章が変わってくるらしい。