先日、紹介した富雄丸山古墳の疑問⑴で、この古墳はとても立派な出土品が出た古墳ではありますが、
築造された奈良盆地の場所の位置関係から、その時代の有力な古墳のグループから離れた場所に築造された、という事が疑問点としてあります、さらに、その古墳の形が前方後円墳でなくて、一般にランクの低い人の古墳である、円墳であるという別の疑問点があります。
この時代、政権につながる有力な人の墓は、前方後円型の古墳が作られます。
序列から言うと、地方の有力者の場合、墓が円墳で作られたと考えられます。
したがって、普通に考えると富雄丸山古墳は富雄川の上流を支配していた、その近辺の地方の有力者の墓と考えられます。
しかし、出土品は地方豪族にしては、かなり立派な鏡と剣です。
そして上の図に富雄丸山古墳の出土品が出た場所が記されていますが、一般にその古墳の主なる被葬者は墓の中央に棺が埋葬されます。
しかし、今回の場合、国宝級の出土品は中央でなく司祭を行うべき古墳の端の場所に埋められていました。
一般に、古墳の中央頂上でなく、古墳の端に埋葬されている被葬者は、築造された後の時代になって、一族の人が古墳を利用して端に埋葬する可能性があります。
そういう点から言えば、今回のような立派な副葬品が出ることは考えられないと思います。
なぜ国宝級の今まで出たことのない立派な鏡と大きな太刀が埋められていたのか、とても不思議です。
出土した国宝級の遺物は鏡と大きな剣ですが、いずれも国産品であることが、それを生前、所持していた被葬者を類推する一つの手掛かりかと思います。
奈良盆地で金属加工していた、この地方の有力者の首長であれば、そのような副葬品があっても、おかしくないかもしれません。
いずれにしても、とても興味のある今回の国宝級の古墳の出土品です。