・・・久しぶりにタイガースが活躍して、面白い野球をしている。
先日、ラジオの講演で昔は外で野球をして、ボールが他家の庭に入って、ボールを取りに行くのに、だれが行くかで良くもめたと云う話をしていた。
私は、小学校の時代は毎日学校から、帰宅すると近所の空き地で野球をしていた。
そして、空き地の周りの家にボールが入ってしまったり、時には、他家の窓ガラスを割ったりしていたことを思い出しました。
我が家も、昭和の時代までは周りで、子どもが野球をしていて、我が家にボールを入れては「ボールを取らしてください」と云って、ボールを取りに来ていた。
平成になってから、何時しか、そんなことはなくなってしまったようです。
野球より、サッカーが盛んになってきたこともあるが、子どもが家で遊んで、空き地や、道路で、遊ぶことが無くなったからだと思う。
家の庭に子供が、「ボール取らしてください」と云いながら、我が家にきたら、日頃、そんな年頃の子どものいない我が家に、縁が無い小学生と交流できるのにと思っています。
…露天風呂に入ると、景色が良く、日常、写真を撮る私としては、露天風呂にカメラを持ち込んで、一度写真を撮りたかったが、なかなか、そのチャンスが無かったが、今年、防水カメラを買ったので、チャレンジすることにした。
川沿いの崖の上にある、露天風呂。 背景の遠くに、渓谷の川にかかる、赤い橋が見ることが出来る。
しかし、カメラを持ち込んで分かったことは、当たり前ですが、人がたくさんいる、普通の温泉では、カメラを持ち込むことは、普通ではないので、おかしな人間に思われる可能性があることに気が付いて、自由には取れなく、人がいないのを見計らって上の写真を撮影した。
・・・駒ヶ岳の千畳敷カールと云うところまで行くロープウェイに行ってきた。
このロープウェイは日本一高い場所まで行く、ロープウェイらしい。
あまり宣伝が聞こえていなかったので、私も、行って、初めてそのことを知った。
標高2611メートルの場所が千畳敷カール駅です。
さすがに規模と金は掛かっていないですが、スイスのユング・フラウヨッホ山頂の鉄道駅の雰囲気がありました。
200メートルくらいまでは、紅葉が見られました。
下に見える鉄塔の位置が2500mの高さだった。
この場所以上の高さに、上って行くと紅葉はもう見られなかった。
…ある会社の社長がテレビのインタビューの中で「ほらを吹け」と云っていた。
インタビューそのものは、話が長く、そのほかにも自慢話なども多く、しかも、インタビュアーの腕のせいかもしれないが、あまり面白い話ではなかった。
しかし、私の経験と相通じる話として、「ほらを吹け」と云う言葉と意味には共感した。
会社勤めをしている時に良くあったが、仕事上の課題に出くわし、出来るか、できないかわからなくて、手を挙げて、仕事を受けることに、躊躇することがある。
サラリーマンをしていると、ほとんどの人は命じられない限り、こんな場合は手を挙げて仕事を受けようとしない。
ましてや、自分がやりたい仕事であっても、リスクがあると自分で名乗りを上げるようなことはしないのが普通である。
「ほらを吹く」と云うのは、五分五分で、できると思ったら、リスクがあっても「私は出来ます」と云うことだと思う。
人にもよるが、生まれつきの「ほら吹き」でない限り、50パーセントの可能性と思う時は75%の可能性を持っていて、やる気で95%の達成率になると思って間違いない。
人生、前向きに取り組むことが人生を楽しくしてくれる、「ほらを吹く」と云うのは前向きに人生に向かうことだと私は経験から感じて、この言葉に共感した。
・・・毎年、この時期に旅行を兼ねて信州にリンゴ狩りに行く、今年も天気が良く気持ちの良い青空の下、信州に行ってきた。
リンゴの向こうに南アルプスの山々が見える。この奥が噴火のあった、御嶽山です。
今年も木になっている、大きなリンゴを五種類を各一個ずつを家族と分け合って全部味わってきた。 完全に全部食べれたのは二人で、三個分で二個分は持って帰った。
・・・昨日、名古屋の東急ハンズに行った時に入り口に大きなかぼちゃのお化けが飾ってあった。
私はハロウィーンと云う行事があると云う事は知っていたが、それが何時でどういう起源で遣られているのかは、知らなかったし、ましてや、行事の体験はしたことはなかった。
ウィーキベディアで調べると
その起源や歴史は省略するとして、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱える。
家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。
これが主な行事らしい、子どものお祭りの様だが、東急ハンズの売り場ではお菓子だけでなく、大人の仮装グッズなどが色々と売っていた。
日本では若い大人が仮装して、パーティーで遊ぶ日らしい。
・・先日、種を蒔いたコマツナが大きくなってきたので、虫に食べられないように、植えてある、畝を網でカバーした。
1.8m長さの弾力のあるプラスティックの棒を地に差し込み、それを骨にした百均で買った防虫網を三枚上に書けた。
これで虫に食べられなかったら、良いのですが。
先日、インゲン豆を収穫した小さな畝に、肥料を入れて耕しておいた。
そこに玉ねぎの苗を植えた。
・・・妹の愛着のある着なくなったジャケットの革と裏地を使って、彼女用に、カバンを作った。
先回までに、ここに載せたように、部品を作って、今回、本体を縫い上げた。
縫い上げた鞄本体。
ジャケットの裏地をカバンの内袋に活用した。また、底に、小物を入れれるチャック付ポケットを付けた。
次に、鞄のアクセントになる、赤い色のベルトと、肩掛けの茶色のベルトを作った。
アクセントになる赤いベルトと、肩掛け用の茶色の細いベルトを、革を貼りあわせて、端を全周縫いあげ、仕上げた。
鞄にベルトを取り付け完成です。
・・・新聞の社説に上記の主題の記事が掲載されていた。
記事によると、仕事の割に高い給料をもらっているのに、生き生きと働けていない中高年を「働かないおじさん」と云うと定義していた。
この記事では年功序列賃金の弊害として、頑張っても出世できないと悟ると、給料をもらっているのに働かない高年齢社員が出てくる、このような社員の事をあらわすために、言っているが、
私の経験から、照らし合わせて、云うと、別の違う意味での「働かないおじさん」を生み出している会社が多い。
会社のトップの社長がサラリーマン社長の会社は一般的に、組織と規律を重視して、働ける社員を働けないようにしている事が多いように思う。
命令されてしか動けない社員のはこのやり方でよいのかもしれないが、有能な社員は周りに同調することを求められて、「働かないおじさん」でいることを求められる事になる。
会社組織は平均的な人をペースに人員配置をするから、有能な人は実稼働時間の3割も働いたら、十分成果を出せる。 後は見つからないように働かないで遊んでいれば、それでも成果を達成する有能な社員でいられる。
日本の会社は平均的人間をベースに組織を作り、その組織に遭った規律を守ることを要求し、有能な社員と出来の悪い社員は存在しないかのような仕組みになっていて、結果として、有能な社員と出来の悪い社員は「働かないおじさん」になっていくのである。
・・・古い革ジャケットを使って、女性用の鞄つくりにトライした。
解体するときはナイフの刃を使って丁寧にミシン糸を切り、40㎝角程度の面積が取れる大きさまでにジャケットを解体した。 裏地も破らない様に注意を払いながら、解体した。
ジャケットの上半身は擦り跡が少なく、使えそうなので、そこから、カバンのパーツをとることにした。 カバンは旧いカレンダーを利用して型紙を製図し、その型紙を使って材料取りをした。
カバン本体のパーツを完成した。
右の部品は革の外側で、部品の中央にジッパーを取り付けたました。
中央はカバンのうち袋です。
左端の部品はうち袋の中仕切りです。
次はこれらを組み立てます。
・・・実の妹が、夏に顔を合わせた時に、彼女の古くなって愛着のある革ジャケットを捨てたいが、捨てがたく再利用できないか、考えてほしいとジャケットを預かっていました。
皮は古いので、擦り跡の目立つ場所もあるが、上半身部分は使えそうです。
裏地は美しい模様の生地なので、カバンや財布の内張りに使えそうです。
今回は妹向けに女性用バックを作ることにしました。
裏地で、鞄の内張りを使いたいと思っています。
・・・革細工で難しい基本技術はいくつかあります。
一番は革削ぎ、次は柔らかい革の縫製、コバ処理などがある。
それら技術が、全部入った革製品の一つに「二つ折りの財布」がある。
使っている革は薄く柔らかいので、扱いにくい。
そのうえ、財布の端部では多いと5枚程度の皮が重なり、縫製が難しい。
最近作った二つ折り財布です。
端部は革を折り曲げて五枚程度の革をミシンで縫っています。
革はナイフで端部を薄く削いでいます。
気に入ってない部分は被せて縫ってある、皮の端の線が直線でないところです。
まだまだ、上手く仕上げられないので、さらに工夫を重ねて技術の向上を図りたいと思っています。
・・・輸出企業が為替で儲かっていると聞きますが、それ以外に、儲かっている会社は公共投資関連くらいかと思えます。
私の毎朝のジョギングコースで、大きな土地造成工事をしていたので、どんな会社が投資するのかと思っていたら、私の住んでいる市が作ったゲートボール場らしいです。
この時期、もうかっている会社でも将来的に国内需要を考えると、トテモこんな設備投資できる環境ではありません。 しかし、県や市はもとは税金、それに維持するのに固定資産税は掛かりません、やりたい放題です。
今、日本で、金を使って投資をしているのは税金を使う国や県や市だけです。 そして潤うのは一部の出入り土木業者だけです。
米国で盛んに言われていますが、この際、日本も小さな政府を考えて行かないとやっていけないように思います。 税金で景気を後押しするようなやり方は、もはや効果がないことは判っているのに、それしかできない人たちの集まりである市や県は最小限の規模にすべきです。
そして、その金を減税に回すことこそ、景気を良くする方法と思います。
・・・新聞のコラムに「足下に泉あり」と云うニーチェの言葉を引用した文章が書いてありました。
新聞の内容では、もう一つ、私には意味が良く理解できないので、色々と考えていて、こういうことではないかと思いつきました。
それは、どういう事かと云うと、
人生ではいろんな難題が身の上に降りかかってきます。
自分の能力では、どうにもならない様な難題の場合はどう対処するか。
今までの人生でたくさんあったことです。 時には死にたくなるほど悩んだこともあります。
若刈った時には、そういう時の私の場合、まず、身に降りかかった不幸を嘆き、そのうち、嘆いてもどうしょうもないと悟り、それでも愚痴をこぼしながら、諦めて、どんな対策をとれば、上手く切り抜けれるか、問題を一番うまく解決できるか、あらんかぎりの知恵を絞る、その結果、世の中には、そんなに都合よく、うまい方法はないと悟り、その結果、今やれる努力を精一杯して、これも人生と諦めて、結果を受け入れる。
これが、年をとって経験数が多くなり、これらの一連の過程を見通すことが出来るようになると、
まず、難問に直面した当座は、少しの間は、自分の身に降りかかる不幸を受け入れる時間が必要ですが、それも短時間で気持ちを切り替えて、自分にとって、今やれる最善なことは何かと考え、論理的に整理して、直ぐに、それを確実に、こなしていく努力が出来るようになる。 そして、結果を冷静に待つ。
ニーチェの言葉の「足下に泉あり」はこういうことを言っているのではと思いました。
人生の課題に向き合った時、解決できないことに何時までも向き合っているのではなく、自分が今出来る足元のことをきちんとやっていくことで、道が開けていくと云う事を、この言葉は、言っているのではと思いつきました。
・・・イチゴの苗をポットで育てていたのを畑に植えました。
小松菜の横に一筋の畝が余っていたので、黒色のビニールを敷いてポットのイチゴの苗を植えました。
玉ネギの畝の横に少し開いていたので、その場所にも、三本イチゴ苗を植えました。