・・・年を取るとともに、昔のことを文章に残して記録したくなってきた。
そんな親の手前勝手な記録を残されたら、子供は、親の死んだあと、始末に困るだろうから、いい加減なことで文章は書けないが、ブログなら消えていくから許されるでしょう。
私たちが小学生の頃の男性の先生は殆どが戦争から帰ってきた人たちでした。
子供が悪さをしては、しばしば、戦争の話を持ち出されて、平和が良い、いかに戦争は良くなかったかと説教されたものです。
一時期、米ソの宇宙ロケットが、打ち上げられた影響で、鉛筆のキャップに、セルロイドの削り滓や、花火の火薬を詰めて密封し、ろうそくの火で温め、キャップをつぶして詰めた口から煙が噴き出して、キャップをロケットのように飛ばす遊びをしたものです。
その遊びを先生に見つかり、鉄砲の弾を引き合いに出されて、いかに密封した火薬は怖いかを、何人もの戦争体験者の先生から説教されたことを覚えている。
そのほかの記憶に、戦争体験者の先生はよく生徒を叩いた、頭を軽く、拳固でコツン程度はいいとしても、ほっぺを平手打ちされると、とてつもなく痛かったことを覚えている。 今時だったら、新聞記事ものである。
だからと言って、あの時代の体罰有りの教育が良くなかったとは思えないのが不思議である。
ただ、体罰も含め、あの頃が懐かしいだけである。