ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

古代と現代の関連

2015年10月31日 08時31分27秒 | 日本古代史

・・・昨日、病院で検査を受けた。
  待ち時間が多くて、午前中は待機で、半日を待合室でつぶした。 
  こういう時は自分が興味のある、古代史関連の本を持ち込み、しっかりと読める。

  今日、古代史の本を読んでいて、感じたのは、現在、この世界で、起っている、紛争による、難民の発生による混乱を見ていると、古代、中国大陸や朝鮮半島での事件によって起る難民が日本列島に来た時に、日本の政権が変わると云う事がおこる事が多い。
  場所と時代は変わるが、古代も、現代も同じなんだと感じた。
  
  二世紀末までは、日本列島の中では、北九州が、他の地方よりも圧倒的に文化がすすんでいた。
  しかし、三世紀になると突如、畿内の奈良盆地南部に巻向遺跡と云う大きな古代都市が出現し、箸墓古墳に始まる古墳時代が三世紀後半にはじまる。
  この二世紀末から、三世紀の初頭に日本では何があったのかと云うことが、古代日本史のおおきな謎である。

  この謎に対する、今の有力な考え方は、何らかの外力によって北九州の進んだ文明の人たちが、瀬戸内海を吉備経由で畿内に移住してきて、列島の進んだ文化を吸収して大きな国を作っていったのが初期のヤマト朝廷であると考えられている。

  ここで栄えていた、北九州の国の人たちが、何故、瀬戸内海を東に移住していって畿内に移り住んでいったのか。
  三世紀の初頭に後漢が滅びて、朝鮮半島や中国国内から、亡命や難民として日本列島にやってきた来た人が多かったことが、北九州から、瀬戸内海を東に人が移動したことと関係しているとみられている。

  古代のこの日本列島への朝鮮半島からの難民による日本社会の変化と、現代社会で起っている、遠い場所ですが、シリア難民による周辺のハンガリー、トルコなどの国の混乱は、古代史の大陸の影響を受けた古代日本の混乱状況が想像できる様に思えてきた。
 病院の待合で、古代史の本を読みながら、テレビのニュースを見ていて、そんな事などを考えた。

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ズボンの染色

2015年10月30日 05時58分21秒 | 日曜大工

・・・何でもやってみたい私はズボンの染色に取り組みました。

  白色のズボンは汚れが目立つので、なかなか、はけない。
  何となく穿けないままで置いてある白色のズボンを、試しに染色してみることにした。
  
  染色用の洗剤はインタネットで調べた、英国産のジーンズブルーカラーの染剤を使うことにした。

  

  値段は680円です。

  

  上の写真が染めるズボンで、水に一度つけて絞った状態です。

  

  6リットルの染液の中に付け、約一時間くらいたったものを引き上げ、10回くらい手ですすぎ洗いをした後、洗剤なしで、洗濯機で洗いました。

  

  色はとてもジーンズに近い色に染まったのですが、はっきり言って、元のズボンが白い色の所為か、売っているジーンズと色が違うように思います。
  家で普段着として、穿く分には問題ないとは思いますが、気に入った色とは思えませんでした。

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「自分のしたいことをする」

2015年10月29日 07時23分21秒 | エッセイ

・・・最近、新聞やテレビでのインタビューに答えている人で、その人の生き方について「自分のしたいことをしている」と発言している人が多くなったように思う。
  成功している人はもちろん、自分の生き方に自信があるので、そういう発言はあるだろうが、そうでない、苦労していそうな人でも、そんな発言をしているのを、知る機会が、良くある。


  学生から社会人になって、まず経験して感じるのが、自分の考えていた当たり前が、いかに社会ではその発言を押し殺さないとやっていけないか、若いころは理想を押し殺して、現実に合わせていく毎日に、自分自身の心の葛藤をしていることが多い、そのうち、長いものに巻かれろ精神を会得し、理想を思い浮かべなくなってしまう様になる。
  そんな現実を多く体験してきた、我々、大人に取って、昨今報じられる、事由に発言する若い人はとても、まぶしく、素晴らしいと感じる。

  7月頃に、このブログの中で、学生の運動(SEALDs)の話題を取り上げた。
  彼らは、今、そんなことをしていると就活で上手くいかないよ、とか、 「戦争に行きたくない」と云うのは利己的だなどと、言われたり、脅されたりしている。
  しかし、彼らのテレビでの発言などを聞いていると、そんな社会の先を読むような変な大人の言動とは違い、とても勇気のある、しっかりとした発言をしている。
  いい企業に就職してハッピィーな人生は、発言しない人生と裏腹につながっている、と云う事をもうしっかりと認識していて、そんな人生は嫌だと云っているようだ。
  安定した生活などを考えて、発言しない人生は、生きていく価値はないと云うような発言をしている。
 

  自分の頭で考えて、発言する、そして「私は嫌だ」と云える、そして、今より、開かれた社会に変えるように努力する。
  我々の経験した生き方から考えると、出来るようで出来ない、人生を送る若者が増えているようだ。
  

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円は何故、安全か

2015年10月28日 05時54分26秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・日本の借金は世界でも有数であるのは有名であるが、何故安全資産なのか疑問を持っていました。
  先日の新聞コラムにその答えと云う記事がありました。

  まず、借金は多いのですが、それは日本国内での貸し借りで、対外的には対外資産が世界有数であることが、多通貨との相対的評価で安全と考えているらしい。

  対外資産が多いことのほかに、紛争が無く正常が安定しているも、安定通貨の重要な要件です。
  世界でも、IMFの共通通貨として ドル、ユーロ、ポンドは比較的安全な通貨と云われていますが、スイスフラン、日本円は特に「安全資産」と呼ばれている。

  この記事を見ると、戦争と距離を置くことを宣言している国は、経済的にも安定している要件であることが分かる。

    

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革製ナイフケースの製作

2015年10月27日 05時58分47秒 | ナイフ製作

・・・先日ナイフを完成した。
  刃の研ぎは、まだですが、これから、時間をかけて、ゆっくりと研ぎたいと思っている。

  
   出来上がったナイフ

  

  

  完成した革製のナイフケースにナイフが収まっている写真です。

  

  ナイフと革ケースの表側。 
  ケースの革の厚さ6ミリ近くあるので、手で縫うのに、てこずりました。

  

  ケースの裏は緑色のバックスキンの革を張ってゴージャスにしました。
  茶色の革帯はベルト通しです。  Dカンと云われる金具も付けてあります。

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名前の英語表現

2015年10月26日 07時48分14秒 | 暮らしの出来事

・・・先日、英語講座で、最近の中学生の学校教育では、自分の名前を云う時は「My name is Yamada Taro 」と「姓ー名」の順で云うように教えられている、と講座の先生が云っていた。
  現在の教科書の指導方針らしい。

  先日の新聞に、このことについての解説の記事が出ていて、私は勉強になったので、ここで紹介する。
  
  英語教育の歴史は1889年(明治22年)に英語教科書が日本で初めて作られ、そこには名前表記について、「姓ー名」の順で表記されていた。
  1904年(明治37年)頃から、名前表記は「名ー姓」の順が使い始められた。
  2000年(平成12年)には、国語審議会が「姓ー名」の順での表記が望ましい、と答申を出した。

  以上が、名前の英語表記に関わる歴史である。

  私も、講座を聞きながら自分なりに思ったのは、自分の名前の英語表現はについては、過去に、私が習った時は、英語では外国人と同じに「名ー姓」出なくてはいけないと、思っていたが、
 大人になった、今は、日本風の発音も含めて、日本を理解してもらうためには日本風に「姓ー名」と名乗るのが良いし、単に外国人に対して自己紹介をする時は、英語風の発音で「名ー姓」の順で名乗る方が良いと思った。

  即ち、言葉はその土地の風土も含めた自己表現の道具なので、それを踏まえて、TPOで名前の順を変えることが、正しい名前の言い方ではと思った。

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「林住期」

2015年10月25日 06時18分17秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・土曜日の朝六時から、ラジオで文化講演会をやっている。
  朝、走りながら、聞いたり、家で朝食を食べながら、聞いたりしている。

  昨日の文化講演会の話題は坊さんの仏経の話でした。
  その中で、仏経では、人生を四つに分けて考えると云う話をしていた。
  同じ話を、以前、作家の五木寛之さんの本で読んだ、その四つの区切りの三つ目の「林住期」を題にした彼の本があって、彼は古代インドの思想で人生を四つに分けて考える、その後半の最初を「林住期」と云うと書いていた。
  坊さんの、仏教での話と同じである。

  因みに、坊さんの話も、五木寛之さんも、人生を四つに分けると「学生期」が0歳から25歳、「家住期」が25歳から50歳、そして、「林住期」が50歳から75歳、「遊行期」が75歳から100歳と、人生を分けている。
  100歳までは生きる人はまれなので、実際は、人生の後半の「林住期」をはしょる人が多い。

  このように、人生を、色々な時期に分けて考えるやり方は、前にも書いたが、誰しも考えに至る考え方ではある。
  私も同様なことを考えていた。
  即ち、人生の前半は生まれて稼ぐ準備をし、稼いで貯めこむ、そして、人生の後半はためた金で、折角、生まれた人生で遣りたい事、生きたいところに旅をし、人生の前半でのたまっていた思いを実現し、喜びを謳歌する、そして、それが出来なくなった時に、人生を終える準備をし、終える。
  大まかにいえばそんなことを、人生について考えていた。

  私は今、「林住期」を楽しんでいる。
  他人からは、どう見えるかわからないが、自分では、生きてきた、喜びを、いま、満悦しているつもりである。
  しかしながら、生きていると、完全には人生を区ぎれてないところはあり、今も、社会、家庭での人間関係で、多少の悩み、苦しみはある。
  しかし、今まで過ごしてきた、学び、稼ぐ、人生の前半に比べれば、圧倒的に今は、楽しみの多い毎日ではある。

  こんな中で、人生の終了を決めるのは、自分の体調である、医者から、そろそろ寿命だよと、いわれた時は、終了の準備も始めなくてはいけないが、私自身はまで、「林住期」真っ盛りと考えて過ごしている。

  

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ナイフの製作  組み立て

2015年10月24日 08時03分28秒 | ナイフ製作

・・・先日、銘木を使って柄を削り出した。

  

  今回はある程度まで研磨したナイフに柄を取り付ける作業をした。

  まず、ナイフの柄の部分にエポキシ系の接着剤を塗り、木の柄を貼りつけた。
  一日の間、硬化するまで、放置し、固くなってから、五ミリ径のドリルで柄に、二か所、穴をあけた。

  先日、ガスの火であぶって、ナイフの柄の部分は、ナマシの熱処理をしたが、二か所のうち一か所は軟らかくなってなった、そのため、ドリルで穴をあけるのに、大変苦労した。

  

  柄にあけた二か所の穴に、アルミのリベットを打ち込んだ。
  その後、柄全体を、ヤスリで平面に仕上げた。

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水耕栽培の種まき

2015年10月23日 05時33分23秒 | 家庭菜園

・・・面白い趣味の記事を見つけた。

  私の趣味の一つの家庭菜園は、畑の土を作るのが大変で、なかなか、土造りには時間がかかる。
  それと、畑作業に伴う、季節の土を耕す肉体労働がきつい。

  今日、新聞で見つけた記事は家庭で水耕栽培をやっている人のやり方の説明である。
  私にはとても魅力的な趣味に思えた。

  

  上の図は、水耕栽培の新聞の記事の切り抜きである。
  百均の品物で遣れそうなので、早速やってみることにする。
  続きを、後日、ここに載せる。

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耕耘機作業風景

2015年10月22日 05時51分04秒 | 歳時記

・・・今月の初めに、「立派な耕耘機」と云う話を紹介した。

  

  残念ながらその時は稼働しているところが見れなかった。
  上の写真がその時のものです。

  昨日の昼前ころに、何時ものように、農道をランニングしていたら、その耕耘機が稼働している現場に出くわした。
  遠くから、写真を撮らしていただ゛いた。

  

  左側のトラックの荷台の大きな袋の中に、刈り取ったモミを耕耘機のパイプを通して、入れ込んでいた。
  多分、刈り取ったモミは田圃で刈り取り作業中は耕耘機の中にため込んでおいて、トラックのところに来てから、パイプで袋に吐き出していたのではと推測している。

  別の日に、隣の田圃で、脱穀だけの農作業機械を使って、脱穀作業をしているのを見かけた。

  

  上の写真の中央の赤い機械が、脱穀機で、付いている人が手で稲束を機会に挿入して脱穀し、モミが袋に自動で入るようになっていました。
  前記の耕耘機とは、随分と効率が違うようでした。


  

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ナイフの製作  柄

2015年10月21日 07時02分45秒 | ナイフ製作

・・・今日は手持ちの銘木の端木を使ってナイフの柄を造ろうと思い作業を始めました。

  

  厚み7ミリの小さな銘木の板を東急ハンズで、以前に、何かのついでに買った物がタマタマあったのを見つけたので、これを使う事にしました。

  ナイフの柄の部分を挟み込むように柄を付けるために、上の端木を板厚方向に丸鋸で二つに切りました。

  

  板厚方向に二枚に下板をナイフの柄の形に削り出したのが上の写真です。
  大まかに、のこで切り出した後は、ケガキ線まで、サンドペーパーで削り出しました。

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ステンレス容器のコーヒーメーカー購入

2015年10月20日 05時57分05秒 | グルメ

・・・昨日はコーヒーメーカーのガラス容器のことを書きました。

  一昨日の夜に、ステンレス容器のコーヒーメーカーを発注しました。
  その結果、昨日の夜に品物が到着しましたので、早速、試してみました。

 

 上の写真は、購入したコーヒーメーカー。

  

 薄いステンレス薄板を、深絞りした容器で、形はとてもシンプルで、これなら、ものにあてても、割れないと思いました。

 他に幾つか改良がなされていて、便利な点もありましたが、使ってみないと、良さがわからないので、特にここでは紹介しません。

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コーヒーメーカーのガラス容器

2015年10月19日 07時08分12秒 | グルメ

…十年来、毎朝、コーヒーメーカーでコーヒーを入れている。

  今までなんとも思わなかったのであるが、今年になって、コーヒーメーカーのガラスの器を3個割ってしまった。
  考えてみると、ワイングラス以上に使用環境、大きさなどを考えると、割れやすいと思う。
  そこで、インタネットで調べてみると、ガラスの器をステンレス容器に置き換えたコーヒーメーカーが売っていた。

  ガラスでなくステンレス容器は、当たり前の発想のように思うが、私もこの記事を読むまで気が付かなかった。
  ガラス容器を魔法瓶に置き換えたものはいくつかあったですが、単にガラスをステンレスに置き換えた容器のものは、たくさんある製品のうち、一種類だけであった。
  人の発想は、大したことはないと感じた。

  ガラス容器が割れて困ると云うユーザーの話はたくさんコメントに載っているが、売っているコーヒーメーカーはガラス容器が魔法瓶になっているもの以外の単なるステンレス容器は一種類しかなかった。
  因みに、魔法瓶の容器のコーヒーメーカーは一万5千円以上して値段が三倍に跳ね上がるのであるから、私の場合のわれない容器のニーズから考え、対象外である。

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ナイフの製作 鍔

2015年10月18日 07時34分34秒 | ナイフ製作

・・・この前、ナイフ製作用の鋼材の切り出しをした。

  

  今回は、ベルトグラインダーであらかた磨きをかけ、柄の部分の焼き戻しをした。

  

  キッチンのガスコンロで温度を上げたが、なかなか、温度が上がらず失敗した、しかし、見た感じ、温度は500℃から600℃くらいまでは上がっていたので、少し軟らかにはなっていると思う。

  今日はアルミの3ミリ厚みの板を使って鍔の製作をした。
  アルミを使った理由は、軟らかで、加工しやすいからである。

  

  写真で、上に写っているのは切り出した元の3ミリ厚みのアルミ板。
  下は完成したアルミ製鍔です。

  

  仮の磨き途中のナイフに鍔をはめた写真です。
  アルミは簡単に思う形に変形してくれるので加工が楽です。

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下賀茂神社の話

2015年10月17日 08時12分29秒 | 日本古代史

・・・この五月に京都の町を自転車で観光した時の下賀茂神社のことをかなり以前に、此処に書いた。
  その時に、下賀茂神社は山城国の一宮で、京都でも古い神社だと云う事は勉強していた。

  最近、「出雲と大和」と云う本を読んでいるが、その中に、古代ヤマト王朝から、はみ出た出雲系の嶋氏の一族が大和から移り山城に住んで、賀茂のあたりに祭神を祭ったのが、山城嶋氏の始まりであることが書いてあった。
  その証拠の一つは、下賀茂神社に面白い祠がある、私も知らないままに面白いと思って、その小神社の写真を撮ったことは覚えている。
  拝殿前に、干支に相当して、12の小さな祠が境内の周囲に、設置してあって、そのうちの七神は出雲の神様の大国主神の別名の神様の名で祭ってあるとのことで、私は干支の祠を見た時は、そんな意味の深いところは理解できてなかった。
  それでも、都を守ると云う意味からいえば、皇室に縁の深い伊勢系の神先でないのは、おかしいとは、その時に思った。
 

  私の住んでいる名古屋地区の古代の首長の尾張氏も同じ出雲系の氏族らしいので、どうも、古い創世記の頃の大和朝廷に滅ぼされた古代出雲系氏族の人たちは、全国には、このような形で住みついている人達が多かったらしい。
  

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