・・・昨日、病院で検査を受けた。
待ち時間が多くて、午前中は待機で、半日を待合室でつぶした。
こういう時は自分が興味のある、古代史関連の本を持ち込み、しっかりと読める。
今日、古代史の本を読んでいて、感じたのは、現在、この世界で、起っている、紛争による、難民の発生による混乱を見ていると、古代、中国大陸や朝鮮半島での事件によって起る難民が日本列島に来た時に、日本の政権が変わると云う事がおこる事が多い。
場所と時代は変わるが、古代も、現代も同じなんだと感じた。
二世紀末までは、日本列島の中では、北九州が、他の地方よりも圧倒的に文化がすすんでいた。
しかし、三世紀になると突如、畿内の奈良盆地南部に巻向遺跡と云う大きな古代都市が出現し、箸墓古墳に始まる古墳時代が三世紀後半にはじまる。
この二世紀末から、三世紀の初頭に日本では何があったのかと云うことが、古代日本史のおおきな謎である。
この謎に対する、今の有力な考え方は、何らかの外力によって北九州の進んだ文明の人たちが、瀬戸内海を吉備経由で畿内に移住してきて、列島の進んだ文化を吸収して大きな国を作っていったのが初期のヤマト朝廷であると考えられている。
ここで栄えていた、北九州の国の人たちが、何故、瀬戸内海を東に移住していって畿内に移り住んでいったのか。
三世紀の初頭に後漢が滅びて、朝鮮半島や中国国内から、亡命や難民として日本列島にやってきた来た人が多かったことが、北九州から、瀬戸内海を東に人が移動したことと関係しているとみられている。
古代のこの日本列島への朝鮮半島からの難民による日本社会の変化と、現代社会で起っている、遠い場所ですが、シリア難民による周辺のハンガリー、トルコなどの国の混乱は、古代史の大陸の影響を受けた古代日本の混乱状況が想像できる様に思えてきた。
病院の待合で、古代史の本を読みながら、テレビのニュースを見ていて、そんな事などを考えた。