・・・先日の報道によれば 世界史の製鉄発祥の歴史がさらに古く溯ることが出来る中東の遺跡の発見が話題になっていた。
上は その時の朝日新聞記事の一部
ヒッタイト帝国(紀元前1200~1400年)は「鉄と戦車」の発明で有名である。
この鉄の使用開始が さらに古くなる遺物が発見された。
ヒッタイト帝国と競っていたのが古代エジプトである、どちらも、その時代の強国で金属文化や文字文化の発展があった。
さて、そんな中での、日本のその時代を考えると 日本の年代は縄文時代後期に当たる。
≪参考≫縄文時代の時期区分を、暦年代で示すと、
草創期(約1万5,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 - 4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300 - 2,800年前)となる。
金属器の時代は弥生時代としている、縄文時代は鉄も武器も発達していない、それは文化が遅れていたのでなく、平和だったから、発達しなかったのではないだろうかと私は考えています。
つい最近までは、日本の縄文時代(紀元前800~15000年)は文化らしいものとしては火炎土器や土偶が知られている程度だった。
しかし、それらも、あったという程度のことで、それほど研究が進んでいなかったが、最近は日本各地の縄文遺跡の発掘が進み、研究が進んている。
其の成果として、縄文時代前期文化で有名な、青森の三大丸山遺跡は紀元前3500年ころの時代と云われており、其処には穏やかな、採集生活を送っている縄文人の豊かな暮らしがあったらしい。
遺跡で発見された右下のクルミなどを保管しておく網のポシェットはヒノキの樹皮を剥いでテープ状にしたものを編んで作っていた素晴らしいものです。そのほかに、建物跡や遠方交易、漆の文化や道具が発見されつつある。
これから、研究が進んでいくとモットいろんな高い文明の遺物が発見されていくことと思う。 日本の縄文時代は大陸や半島から、移り住んだ弥生人が来るまでは独自の文化をはぐくんで、一万年以上列島で、縄文人は平和に暮らしてきた。
平和であるから、他民族と摩擦が無く、武器も文字もいらない、豊かで平和な文化をはぐくんできたのではと私は思った。