・・・古い話ですが、2015年5月19日に、淡路島で7個の銅鐸が発見されたと云う新聞記事が掲載されていて、ここに紹介の文章を載せた。
銅鐸とは弥生時代の前期、中期に祭祀に使われ、古代の祭祀の道具と云われている、もともとは楽器の銅製品です。
銅鐸をまとめて、埋めると云うのは弥生時代の祀りが、銅鐸による祭祀から、銅鏡や墳墓による祭祀に替わっていった時に、不要になった銅鐸を、地域の災いを防ぐために境界に埋めた、と云われている。
日本全国の色々な場所で、境界に埋められた銅鐸が発掘されている。
淡路島は畿内から瀬戸内を通って、九州や大陸に行くときの要の様な位置にはある島である。
西の瀬戸内海から来た時の突き当りに位置.の淡路島の中央の西側だから、畿内に対して、外敵を防ぐ意味で、銅鐸を埋められたのかもしれないと云うのが納得の意見でした。
今回の記事では見つかった銅鐸を詳しく調べた結果、一部のものは、出雲で過去に見つかっている銅鐸と同じ鋳型で作ったものが分かったと云う報道でした。
上の図は出雲の荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸と淡路島の松帆遺跡の銅鐸が同じ鋳型のものから作られたことを示したものです。
これらの銅鐸の研究によると、鋳物のとして製作作されたのは近畿地方ではないかと云う説と出雲と云う説があり、尚且つ製作時期は弥生時代中期以前と考えられるので、今から、二千数百年前に、こんな広い範囲で、密接な交易があったと云う事に驚きを感じます。