・・・朝のラジオで「言葉の謎とき散歩」という主題の後援会の放送をしていた。
話している人が岐阜出身で自宅の名古屋に近く、さらに、私が若いころに住んでいた富山の方言にも詳しいと云う事で、興味を持って話を聞いた。
その中でも、興味をひく話はいくつかあるが、その一つに「カタツムリ」の単語は地方によって言い方が違うが、その理由は、都だった京都からの距離によって異なる、つま京都にり近い場所ほど歴史が浅い単語の表現だそうだ。 一番新しい表現が、関西で使われている、「でんでんむし」、その次が関東などの「カタツムリ」、そして、さらに遠い北九州の地方で、「まいまい」。 そして「まいまい」が、この中では、一番古い表現で、且つ、都から一番遠かった地方の言葉だそうです。
次に面白かったのは、言葉には語彙と音がある。 語彙はどんどん変わっていくそうで、それが、先ほど紹介した、都からの距離が近いほど、その時に都で流行る言葉の影響を受ける。
そして、言葉の音は人間が生まれた時から、直ぐに身に着ける発音なので、それは人から人に代々伝わって、長くその地方独特の音を使うようになるそうです。 従って、言葉の音は都の流行りの影響をうけなく、昔の言い方がその地方独特の言葉の音として、その地に残るそうです。
今は、私が住んでいる、名古屋地方は今は、岐阜より京都に近い気がしますが、しかし、車で走る時は関ヶ原を回ってくるので、岐阜の方が京都に近い。 昔は歩いていたので、現在の車の移動と一緒で、岐阜の方が京都に近くて、言葉も名古屋より、都では流行る新しい語彙を使っていたらしいです。
そのほかにも、会話の語尾などの言い方は、京都からの距離で、新しい言い方をするようになるので、京都からの同じ距離の円周上に同じ古さの言葉が残っているらしい。
富山の「・・・・がやけー」と云う言葉の語尾の言い回しに近い、同じ「・・・・がー」という言い方が、高知に残っているのはその理由らしい。
また、松本清張の推理小説「点と線」に出てくる会津と出雲と遠い距離の、かけ離れた地方で、同じ方言を使うと云う話しも、こういう理由らしい。
以上のようなことを考えると、私の好きな、古代の日本史を考えるときに、古代史の研究方法に、方言の由来などの研究も、言葉に、昔の時代の変化の痕跡が残っていることで、古代史のなぞを考える参考になるらしいと云う事が分かった。