今日は散歩しながら、講演会の録音を聞いていた。
柳田邦夫という人の話です。
インタネットによると、柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 1988年3月1日 )は、日本の思想家・ジャーナリストです。
有名な、民俗学者の柳田国男とは名前が同じですが、また、違う人です。
この人は戦後、学生の頃マルクスレーニン主義を勉強したくて東大に行ったそうです。
思想家というのは、どういう事をするのか、私もよくわからなかったのですが、簡単に言うと、人間の考える事を、一般論として整理し、学問的に体系だてることをやるようです。
今回この人の話を、ここに書いたのは彼の死生感について、なるほどと思ったので、死にたいする人間の考え方を、体系だって整理するとこうなるんだということに共鳴しました。
その一つの考えとして「死に対する人称制」があると、いうことだそうです。
死に対する考え方は一人称とニ人称と三人称に分かれるのが、「死に対する人称制」という考えだそうです。
確かに自分の死の事を考えた一人称の死の時と、他人の死、一般的な三人称の人の死は他人事で、全然考えが違います。
私の場合も、去年、兄の死を経験したので、これは、「二人称の死」で、明らかに他人の三人称の死とは違う、私の心に深く感じるところはありました。
この人は、三人称の死に対しても、死に対しては、2.5人称の死生観を持つべきだと提唱されておるそうです。
短い講演の中でしかも散歩をしながら聞いたので、話の内容は、はっきりとは頭に整理はされてなかったのですが、いま、私の頭に残ったのは「死に対する人称制」という考えがあるということでした。