以前 中井喜一さんの主役で 会津の武士が 時代に翻弄されていく映画を涙を流して 何度もみたことがあります。原子炉の今後で 翻弄されていることをおもうと 日本が瀬戸際なのだと 感じざるを得ないこの頃です。
おいっしい米どころが 政治の不甲斐なさで 本当の危機を迎えてしまっていることを思うと
本当に申し訳ないとしか いえません。
いまだ 民主政治は 日本にはなじみがないのです。
どんな方も 口をひらき 世界のことをイメージして動かなければ
良い政治は できないのでしょう。ところが 口を開くと 身を守ることができません。
本当のことを 見つめるということは 怖いことなのです。
ここをまず 自分を変えて 意見しなければ 国は変わらないと 思わなければなりません。
実際 霞が関で仕事をしている官僚の方がたは 土も耕したことがなければ
釣りもしたことがない方が 多いのでは
子供時代から 思いやることなど していられなくて 勉強を勝つ目的で
勝ち抜いてきた人のつく 仕事なのですから 無理もないのです。
血の通わない 条件ばかりつく法律を 作るのは
自分が条件にかなった人間であることで 今の職についているからで
それが あたりまえなのでしょうね。
分け前を与えるには 条件が必要というのは 当たり前のようですが
実は野蛮な方法なのではないでしょうか。
いい経営者というのは 職員を思いやって 生かす人間で
いい組織は いつも そこからうまれたのですから
アメリカが すごいのは
思いっきり推進すべき時は
組織を生かしきるまで 予算をつけるからではないでしょうか。
アメリカが だめなところは 利益の配分に 思いやりが ないところでしょう。
原子力で発電すれば 大きな危険が伴うことは 私のような主婦でも知っていました。
でも 発言すれば 家族を巻き込んで 戦わなければ ならなくなります。
時代が こうした原子炉の破壊という怪我で動けば こうして発言も可能になりますが
以前は 発電所の見学をしながら どうして 加速したウランやプルトニウムを 危険なのに
落ち着かせることができるのかと 強く疑問を持っていても
反対することは できませんでした。また自分の人生を なげうってしたいことでは
ありませんでした。
アトーピーに自分の子供が悩まされていても
本質がみえないのに 社会で問題視してもらおうと 原子炉同様
口を開く気には なりませんでした。
自分だけ 糸口を見つけようとずっと思ってきましたし 今もそうしています。
責任ある発言が できない以上 口を開けないということもあります。
無責任な意見のほうが 口にしやすいということも あります。
ところが 実際政治を 動かせる時代が 少しやってきたのではと
感じています。でも 意見を吸い上げてくれる政治家が 選ばれていません。
得をすることがない政治の仕事を 引き受けてくれる人が ほしいですね。
誰もが 口を開き 悲鳴をあげなければ 政治をかえることなど
できません。こわいけれど 意見していこうと おもいはじめています。
おいっしい米どころが 政治の不甲斐なさで 本当の危機を迎えてしまっていることを思うと
本当に申し訳ないとしか いえません。
いまだ 民主政治は 日本にはなじみがないのです。
どんな方も 口をひらき 世界のことをイメージして動かなければ
良い政治は できないのでしょう。ところが 口を開くと 身を守ることができません。
本当のことを 見つめるということは 怖いことなのです。
ここをまず 自分を変えて 意見しなければ 国は変わらないと 思わなければなりません。
実際 霞が関で仕事をしている官僚の方がたは 土も耕したことがなければ
釣りもしたことがない方が 多いのでは
子供時代から 思いやることなど していられなくて 勉強を勝つ目的で
勝ち抜いてきた人のつく 仕事なのですから 無理もないのです。
血の通わない 条件ばかりつく法律を 作るのは
自分が条件にかなった人間であることで 今の職についているからで
それが あたりまえなのでしょうね。
分け前を与えるには 条件が必要というのは 当たり前のようですが
実は野蛮な方法なのではないでしょうか。
いい経営者というのは 職員を思いやって 生かす人間で
いい組織は いつも そこからうまれたのですから
アメリカが すごいのは
思いっきり推進すべき時は
組織を生かしきるまで 予算をつけるからではないでしょうか。
アメリカが だめなところは 利益の配分に 思いやりが ないところでしょう。
原子力で発電すれば 大きな危険が伴うことは 私のような主婦でも知っていました。
でも 発言すれば 家族を巻き込んで 戦わなければ ならなくなります。
時代が こうした原子炉の破壊という怪我で動けば こうして発言も可能になりますが
以前は 発電所の見学をしながら どうして 加速したウランやプルトニウムを 危険なのに
落ち着かせることができるのかと 強く疑問を持っていても
反対することは できませんでした。また自分の人生を なげうってしたいことでは
ありませんでした。
アトーピーに自分の子供が悩まされていても
本質がみえないのに 社会で問題視してもらおうと 原子炉同様
口を開く気には なりませんでした。
自分だけ 糸口を見つけようとずっと思ってきましたし 今もそうしています。
責任ある発言が できない以上 口を開けないということもあります。
無責任な意見のほうが 口にしやすいということも あります。
ところが 実際政治を 動かせる時代が 少しやってきたのではと
感じています。でも 意見を吸い上げてくれる政治家が 選ばれていません。
得をすることがない政治の仕事を 引き受けてくれる人が ほしいですね。
誰もが 口を開き 悲鳴をあげなければ 政治をかえることなど
できません。こわいけれど 意見していこうと おもいはじめています。