楽しい日々

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人生の研鑽

2018-08-31 21:09:02 | 日本文化

どんな人にも それぞれ経験をし学習をし脳に刻まれた記憶があります。

その脳が記憶していると 意識していなくても 身についた動作もあります。

小さな時期に自分が記憶しようと意識していなくても 身についている手仕事や 習い事は 環境が整えば 年をとっても よみがえり再現できたりするものです。

踊り 楽器の演奏 歌 掃除や農作業 絵を描くとか 職人の作業などです。

教われるというより

手足が勝手に再現できるようになるまで 繰り返して身に着けた仕事です。

その研鑽をする機会が 仕事の世界で どんどん失われているような気がします。

 脳で支配しないとできないと 思いがちなのですが 脳で支配しないほうができることも

多いものです。完璧にできるかどうか 予測できないことを 可能にしてくれる仕事の世界です。スポーツが最たるものでしょう。

そうして完成に近づいた 身についた仕事は しないと心が壊れるものなのかもしれません。

 

実は 子供のころ 近所の男の子で 毎日父親と網の手入れをし 毎日漁に出ている人がいました。その少年だった人は年をとっても漁業権の放棄をしても 漁にでたいと体が動くということが あるのではないかしらと おもうことが ありました。

親戚のおじさんは 農業高校で勉強し 戦争後は店を開いて生計を立てたそうです。でも若いときに身に着けたことは 楽しいものの様です。家に来ると 庭で農作業をしてくれて その姿がなんとも生き生きしていたものです。

90歳になる母は 曲の名前も踊りも 脳では思い出せないのに 音楽がかかると自然に踊れるといいます。

この身に着ける稽古というものは 実は言葉で説明されて字を覚えたり 計算したりするよりも 新たなイマジネーションを思い起こすことに すごく役立つ気がしています。

幼い時期の稽古は 遊びと直結しています。稽古で身に着けたものは 年を取っても役立ちます。

 毎日同じことをするのだけれども まいにち違うという経験を研鑽することは 細かな違いを見逃さなくなります。

なにかしらで 稽古をつむことは 自分の形成に どんなに年をとっても とても役立つと 感じるようになりました。