20代で 主人が 大好きで結婚したはずでしたが 姑の子供っぽさに これは難関だと呆然とした記憶があります。
新婚旅行を終え 家族そろっての食事の後 姑と洗い上げをしました。
そこで 発した姑のセリフが
あなたは ひつじ年生まれだから 家族を失う運勢が危惧される。
ところが お姉さんを失ってるから そうじゃないかもしれない。
そんな 内容でした。
驚いたけれども 人の人生は 見える景色がそれぞれ 味わう辛さによって 感じ方は違うものです。
家は 子供を失うことが いかに突然で はかなくて 母親がどうなるのか
姉を小学校一年で 突然日本脳炎で失っていたので 味わい尽くしていたといっても いいかもしれません。
でも それを人から見れば たいしたことでは ないかもしれないと思いましたし
いや 自分の親に 注ぎたい愛を心掛ければ いつか自分と心の数珠がつながる日が やってくると 信じようと 覚悟したものです。
当時の姑の年齢に達し 主人が命の危機に面して やっとその願いが叶うかもしれません。でも きれた大きな意味での家族の数珠は いまだ 姑の幼さで
切れたままのなっています。
人生の景色は 人それぞれ違いますが 人のこころの景色を おもんばかって
その数珠を共感でつなぎ つらい苦難も耐えうるものにしようというのが ブッタ様の教えなのではと 勝手に子供のころから 決め込んでいました。
勘違いかもしれませんが まんざらでもありません。
病気にならぬように そんな願いはかないません。
死なないように その願いもかないません。
ならば この世で心の数珠をつなぎ つらいことも耐える手立てをしましょうか。
姑が知らずに見失っていた数珠の紐 一つでもこの世にあるうちに
繋ぎたい そう 思い始めています。