楽しい日々

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登喜子姉さん

2018-04-12 16:37:33 | むかしばなし

最近おもいだしておきたいのは 姉さんの死と政治は とても関連があったということです。

昭和20年代は 貧困と民主主義への戸惑いの時代だったかもしれないとうことです。

父は戦後兵役をとかれ 親元にかえって トヨタに就職したそうですが続かず 英語の教師になりました。当時 結婚しても 給与は安く毎日の食事が満足にできなかったそうです。我が家だけでなく どの家庭も 貧困だったはずです。

そんな時代にうまれた姉は 利発で 夕食時間には 尋ねて質問にやってきた生徒に

お兄ちゃん ご飯を炊く煙が出てきたから おかえりと 帰宅するよう促したそうです。

自分の家族の食事が減るからです。

そんな状況下 母が私を出産するとすぐに肋膜炎をおこし 実家で生死をさまよったそうです。父は姉を最初は学校に連れ歩き その後耐えかねて両親にあずけ働いたようですが 大変だったろうとおもいます。

姉を守るこころのゆとりは 誰ももちあわせていなかったはずです。

 5歳で赤痢にかかり やっとなおって学校に入学しても

わずか夏休みまでの命でした。

両親は岡崎に小さな新居をかまえていたのですが 急に祖父の家ではなく 新居に帰りたいと言い出したそうです。その新居に帰ることができた日の夜 話ができなくなり 高熱で受診したら日本脳炎であることが判明し わずか三日で亡くなったそうです。

私が姉の死後四年たって 小学校に入学すると 決まって先生たちが私を 姉の名でときちゃんとよびました。今でも 姉の同級生は ときちゃんを覚えているそうです。三羽烏といわれるやんちゃな可愛い一年生のひとりだったそうです。

このちいさな子供の死は 戦争のあと 貧困とたたかわねばならなかったことを教えてくれています。

利権を奪い合う悪行の仕置きを将来をになう子供がうけることを 教えてくれています。 あらゆる手段で利益を求める必要が 本当に必要なのでしょうか。

 欲しがりません勝つまでは そう旗を振って 餓死をすること明白で戦争しつづけた原因を いまこの時代につきとめて 本当の勇気とは 将来の子供たちのために持つべきです。

英語を話すは非国民国賊 そんな恥ずかしい常識が 闊歩していた日本中で

良しとしていたことを 忘れず 恥ずべきは 偽りを正せぬことにありと

肝に銘じねばなりません。

 

姉の死は その後の家族に 死はいつやって来るやもしれないことを 教えてくれます。そして 生き延びられるのは 今を大切に 本当のことを大事にする人と

幸せを願ってくらすべきです。 本当のことを探して国を運営しないと まわりまわって自分の将来に災いをもたらすということです。

 

 

 

 



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