オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

文部科学大臣は「教育指導要領」に切り込め!

2009年09月27日 20時32分09秒 | オズマの考える教育問題

 経済を支えているもの,すなわち国力を支える根底にあるものは何か。近代国家だけでなく,古くからそれは「教育」であった。

 しかし,政権交代されても,いっこうに「教育指導要領」と伴う「検定」という名の「国家検閲」は続いている。

 それで少しでもよくなるのならいい。だが,現実は逆である。数学は,80年代のカリキュラムが「妥当」というのが専門家筋では通説である。それは,論理のつながりが比較的しっかりしていたからだ。

 歴史においては,三国人からの内政干渉を無視しなければならない。史実とは「つくられるものである」からだ。「天地人」を観ている人で歴史に詳しい人ならわかるだろうが,家康の見方は,いくらでもあるではないか。歴史とはそういう側面があるのだ。

 英語の早期教育もばかげている。国語で漢字も書けない状態でどうするというのだ。「弥勒菩薩」をいきなり小学生に書け,というのではない。ただ,この国の歴史と漢字,それが深く関わっていることを学ぶことは,英語を学ぶ以前の問題だろう。自分の国を知らずして他国を知るなどできないからだ。もしくは,しったかぶりになるのもいいところである。

 理科もひどい。高等学校の内容は,あきらかに「大学進学者向け」とそうでない人向けになってしまっている。生物の話でいえば,現代社会でもっとも重要な「進化・生態系」がいまは選択可能分野になってしまっている。そのせいなのか,ブラックバス問題が入試で扱われるとき,「生態系破壊」という誤った用語をしばしば見かける。「生態系撹乱」が正解であり,生態系とは「人間も含めたもの」であり,「破壊はない」ということ,こうした基本概念がないがしろにされている。物理も酷い。加速度など,明らかに微分積分で考えた方が理屈のあうものを,微分積分が煩雑だといって排除する。一部の予備校では微分積分を使った物理をしているらしいが,それはあくまで「予備」校レベルの話である。

 思うに,これはいままでの与党が,国民から「考える力」を奪い,反抗勢力とならぬようしてきた画策の一つではないかと思う。それは,国民で本当に考える人が増加したならば,選挙で「だますこと」ができないからであろう。

 このような状況があるにも関わらず,歴代の文部科学大臣は,中山成彬氏を除いては,あまりにも「情熱」が欠けているように思う。かつての安保闘争のようなことを避けたい,というのもありうる予測だ。

 いつも思っているが,文部科学大臣と直接対話したい。タウンミーティングでも開いてくれないものだろうか