村山富市と河野洋平。ともに「歴史認識」を「報道」だけにより判断し公表した,事実上の「戦犯」である。
失われた25年となっている。バブル崩壊後,さまざまな価値観が失われた。
だが,国益に即してみると,やはり慰安婦問題で三国人に「つけこまれる隙」を与えたこの2名は,まさに戦犯である。
そんな2名が,亡霊のよう生きている。
僕はアベノミクスを支持していない。株価が相当に高騰しているが,これは終焉の始まり,と浜矩子氏もすでに指摘している。
そして韓国国内でさえも「いつまでも歴史認識にこだわっていると,(経済回復のために)よくない」という意見が出始めている。
つまりは「認識」なのだ。事実でなく認識である。わかりやすくいえば,「感覚」の差である。
その「感覚」を,河野洋平・村山富市は誤った。
安倍に強い政治を期待してはいない。ただ,この問題に関しては,けして三国人の圧力に屈してはならない。失われた50年の開始になってしまうからだ。
そのくらい,ときの政治家の発言は重い。まさに言霊。
しかし,国会はくだらん状態がさらに加速化。野党も非難ばかりで対案なし。9条「認識」に拘りすぎるのは将来のためになるのかどうか,それこそ国民投票をしてはどうか。