『あしたのジョー2』第1話のような,まるでジョーが泪橋に帰ってきたときのような,そんな気分であるこの数週間。
引っ越しが終わった。1991年に入職し,1995年・1999年・2008年に引っ越し,2009年に人事異動で引っ越し,2010年に引っ越し,そして2022年に引っ越しだ。実に,6度目の引っ越しである。人事異動はたった1回なのに。
さまざまな街に出会った。とくに1999年の秋葉原勤務では「もうここまで落ちたのか」と絶望しかけた。逆に言えば,闘争心にさらに火が着いた。「暴走機関車」の異名通りに管理職と闘い,最終的には業績が復活した。
2008年の移転先は後楽園。文化があるような・ないような街であり,妙に豪勢なビルが分不相応に感じたもの。当時の社長に喧嘩...ではない,提案書をA4・13枚作成して僕は異動した。
今度は湯島だった。これまた「また,さらに・さらに下に落ちたのか」と絶望しつつも,なにより初めての部下が出来た。それまで個人事業主と同じような仕事の仕方だったが,初めて3名に部下が出来た。齢39である。
2010年に御茶ノ水に来たが,2011年の大震災。冗談抜きで「ふっとばされそうに」なった記憶が鮮明だ。けが人が出なかったのは不幸中の幸い。サーバーもラックがゆがんだだけで影響がなかった。
そして12年の歳月が流れて(冷静に数えて6・3・3と,小学校~高校生までの時間),今度は神保町に戻ってきた,いや近くなった。
神保町といえば,学生時代に参考書を買いに来たもの。
「代数学同演習」という授業が非常に難しく,友人らと解説本を探していた。結論としては,池袋にあった光琳堂なる書店が一番在庫が多くて,一体何冊購入したのかわからない。我ながらマジメに勉強したものである。いや,数学が好きなだけだっただけだ。得意科目ではないが好きなのだ。
学生時代は「私をスキーに連れてって」の時代でもあり,靖国通り界隈のスポーツ用品店街にも繰り出した。といっても,自分はストックとブーツの購入しか記憶にない。
そして社会人。勤務先周辺の外食では高くてエンゲル係数が高くなる,ということでいろいろ歩いていた。それが神田神保町。
30年ぶりに帰ってきた,という実感と,変わり果てた部分・変わらぬ部分を実感している。
これからの日々,健康のためにも神保町界隈をふらつくことが多くなるだろう。でも,かつてあったR18指定の書店(芳賀書店,東西堂書店)はどこへ消えてしまったのだろう。学生時代に「表紙に騙された」といって大枚叩いてしまった記憶があるが,それはそれで楽しかった。
65歳定年まで働けるとしたら,あと数回は引っ越しがありそうだ。
それにしても,サーバー新規入れ替えは毎回面倒この上ない。IPアドレスのなんたるかを解説するマニュアルは10年以上前に作成したが,結局また配信しなおしであった。
それでも,神保町界隈は,なんとなくにぎやかである。この白山通りの雰囲気は嫌いじゃない,好きである。
550円という日替わりランチのお店があった。わるくない。