オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【中山美穂 /「世界中の誰よりきっと」】水郷往復時代,ラジオからヘビーローテーション。

2024年12月11日 20時48分19秒 | オズマの独り言

中山美穂 /「世界中の誰よりきっと」MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '93 On My Mind



 ちょっと遅れましたが,冥福をお祈り申し上げます。

 というか,かなり驚きましたね。たぶん,時期的に「ヒートショック」ではないかと思いますが。

 この歌が流行していたとき,まさに自身は水郷絶賛往復中。かろうじて「歌謡曲」がカテゴリーにあって,宇多田ヒカルに代表される「うますぎるシンガーソングライター」が流行するちょっと前だった。

 いまから約30年前は自身も20代。若いってことはパワーがあって,いまよりも仕事量が多かった記憶も記録もあるけど,それでも「CDレンタル」する根性があった。

 ダビングしたカセットが真夏の暑さで伸びてしまうことなど多発したもの。Windows98SEを買うまではCD-Rで音楽コピーなんて手段がなかったし,1990年代末はまだCD-Rも高かったのではないかと。

 それでも,ZARDやこの辺りの曲は,まずはラジオでヘビーローテーションされていた。ぼんやり記憶では「走れ歌謡曲」という深夜放送がちょうど水郷への出発時間と一致していたので聞いていた記憶もある。「歌うヘッドライト」もあったかね。

 それにしても,中山美穂ほど最後までイメージが変わらない人もいなかったのではないだろうか。

 役者としても歌手としても,中山美穂は正直あと余裕で20年くらい活躍出来たと思う。

 そして,真相が明らかにできるのなら死因をはっきりさせて,ヒートショックなりなんなりへの警告もしてほしい。

 いやあ,誠に残念です。


【12/11】9連続勤務の後は「病院めぐり」か...。

2024年12月11日 13時10分35秒 | 椎間板ヘルニア・腰痛・体調不良との闘病記録

 ようやく休暇になった12/11。マジでくたびれすぎてるけど,平日しかいけない病院めぐりもしないと

  1. まずは,耳鼻咽喉科。掃除と片付けをしてから行ったので10時くらいだったが,待ち時間30分程度。比較的空いている。クラリスロマイシンとカルボシステインを処方してもらい「あと数週間続く覚悟で」「根気よく治しましょう」の言葉に納得。
  2. 11時に耳鼻咽喉科を出て今度は皮膚科。たぶん,2月にきて以来。ダニにかまれたのか市販薬では治らないかゆみと痛みがある。診察は即断で「ダニ」と結論。会社にいるであろう大量のダニ(ダンボールやら書類大量処分中)が影響しているのではという問いかけに,そのようですねと回答あり。
  3. 12時近くになって処方箋を薬局に提出すると「カルボシステインが在庫切れ」とのこと。ああ,ニュースでいう去痰薬の品切れってそういうことかと。薬局もいくらでもある(納税額の高さに嫌気がさす一方,社会保険制度のありがたさを実感)ので,他の薬局に渡して「1時間待ち」と言われたので帰宅
  4. おっと帰宅前に昼食を済ませよう。最初は海鮮ものを食べようかと思っていたが,ふと天丼が気になって「てんや」に入る。久しぶりだ。久々の天丼が美味しい しかも高くない。秋葉原勤務のときは駅付近に「てんや」があったのでよく行ったが,御茶ノ水付近には「てんや」がないはず。
  5. そして,昼食後は歯磨きをして,在庫のカルボシステインを服用。副鼻腔炎用の薬在庫は自分でも持っているのだ。医師いわく「2年は余裕でもつ」とのこと。今後も捨てないでおこう。
  6. 干していた布団を取り込み,記事を書く。
  7. 14時からは内科と整骨院が予定。
  8. いまのところ,本当に痛くて困るのが「肩と腰」「ダニのかゆみ」。ダニの方は処方薬次第でもあるが,会社のOAフロアが最悪なので,自分の付近だけ徹底的に掃除機をかけよう(異動してきたときにいきなり掃除機を買ったので驚かれたもの)。絶対に奇異な目で見られるけど,自己防衛しないと,だ。ダニ用の殺虫剤も買って,さりげなく撒いておくかな。
  9. そして,ひっそりと通販でルアーを1個購入。釣り意欲は冷めていないからうつ病じゃない。欲求を抑制するのが大変なだけなのだ。ブログなんて平日に書けないしね。

以上で報告を終わる。


【エビタヌキ】YABAI! 「買わない」ようにしないと!

2024年12月10日 00時00分00秒 | オズマのバスタックル

 またまた気になるアイテムが出てきてしまった

 だが,いま「ヤマタヌキ」在庫が50個以上(カラー展開はグリパン,ウオーターメロン,ウオーターメロンギル,スカッパノン),「イモ50」(グリパンのみ)もそのぐらい。イモ50は「いつかは使うから」と別のBOXにしまってあった。

 もう,とにかくワームが増えすぎて,フリマで「懐かし系」を買ったりしたのでさらに在庫が多い。

 毎回釣れているなら問題ないが,釣れても1年間で100匹も行っていないはず。新潟のへびんさんより年間釣果は少ない。釣行日数も時間も多いけど,とにかく数は釣れていない。

 そもそも,ヤマタヌキにしろイモにしろ,「これでもか」とまでは釣って...いるか イモ50はとくにメトロリバー移籍後の2017年頃から数年は安定して釣れたっけ。

 ちなみに,最近のワームカラーはあえての「ウオーターメロン」が復活。1990年代に一世風靡したカラーだ。ここ最近はグリパンばかりだったが,やっぱり普通に使えるカラーだと思っている。

 それにしても,「釣れる気がする」ワームって,実はそんなに多くないのかも

 ゲーリーでいえば,シュリンプ(3インチ),カットテール(3.5と4インチ),センコー(ファット含め3インチ),イモ(50),ヤマタヌキ。ケイテックでスイングインパクト(2.5と3インチ)。2024年こそWテールグラブで1匹釣ったけど,1匹だけか

 気がついたら,いつものこれらのルアーばかり使っているという衝撃の事実が...。流行アイテムを購入して「釣れる」と感動することがあっても長続きしていないんだ。

 ワームはフリマで売っても手間ばかりかかるから,そのうち断捨離しようかね。

 とにかくエビタヌキは,2回目の入荷(初期ロットがはけるころ;と思ったらすでにネット在庫はなかった)に購入予定(やっぱり買うのか)。

 バックスライド系って,メトロリバーでは使い道がなかなか難しいのもあるんだよね...。


今日いち-2024年12月9日

2024年12月09日 12時08分04秒 | オズマの独り言
高くなっております😭

【JR中央線快速・グリーン車】2回乗ってみた感想です。

2024年12月08日 00時00分00秒 | オズマ放浪の旅

 JR中央線快速。およそ産まれてからもっとも乗っている電車であり,通勤電車でもある。

 その中央線快速にグリーン車が連結されて12両編成になったというのは最近のこと。

 2025年3月までは「お試し期間」としてタダで乗ることができる。

 ただし,事前にどの編成が来るかはわからないという公式案内とは別に,確実に「始発駅から乗っているであろう」人たちを多く見る(本当は調べる方法があるようだけど面倒くさいので調べていません)。

 運良く,たしか仕事が遅く終わった日(21時頃),最初のグリーン車に座れた。1階席である。

 対面の若い女性の長い脚が終始邪魔で(相手からすれば終始中年オヤジが邪魔で),快適ではなかった。

 なにしろ,職場最寄り駅から自宅最寄り駅まで,特段何も問題なければ30分未満なのだ

 2回目は12/3だった。気合いを入れて18:30に退社した。もしかしたらと思ってグリーン車の列をみると,とんでもない行列だ

 当然立って乗ることになる。

 立って乗るならつり革がある方が楽だ。つり革につかまりながら寝るのは特技だし。

 2025年3月からは最低利用料金750円だという。いやいや,そこまでして座らないでいいし。何なら,緩行線でちょっと待てば座れるし。

 スンマセン,通勤時間が短いことだけはこの30年以上,何よりの得だったりします...

 でも,有料になったらトイレも使えるみたいだし。

 まあ,大月から新宿まででもかなりの時間がかかるから,そうした利用にはいいかも。速なんていいんじゃないかな


【ついにコーラが190円に】これがインフレ!

2024年12月05日 00時00分00秒 | オズマの考える政治・経済問題

 ある日の朝散歩で,ふと自販機に目をやったらこれである。

 コーラが190円もしている!

 ちなみに,近所の24時間営業スーパーではコーラは100円もしていない。86円だったかな。

 自販機だから電力もかかっているし,維持もバカにならない。それはわかっている。

 2024年の夏も,釣りで暑くてタマランときに180円のコーラを飲んだが,まさに生き返ったと感じたものだ。

 ちなみに,会社のそばにある自販機では350mL缶のゼロ・コーラが120円なので,週に2本ぐらい飲んじゃうかな...

 ブラックコーヒーが飲めるようになっているが,正直ジョージアのコーヒーは薄くて香りもなくて辛い。

 タリーズの缶コーヒーも,自販機では200円を超えていたはず。マツキヨで買えば130円ぐらいだが。

 これぞインフレ,という場面だった。


【あらいやオートコーナー初出記事】2015/04/25 水郷 「スピナベで釣れても,それだけでは...」の巻

2024年12月03日 21時42分30秒 | 2015オズマのバス釣りレポート

 オズマの「ワイルドカード」なる電話・メールが,おそらくいまのところ猛烈な効果を発揮している。

 きっかけは,たしかへびんさんに「たまたま電話切ったら,その後すぐに釣れました...が,先週もそうでした」というものである。

 その後,ふざけ半分で「釣れていますか」などのメールや電話を繰り返し,伝説じみたものになっていた。なにしろ,9割は的中してしまうのだ。「今回は無理です...あ,釣れた」というものが,へびんさんはおろか,上州の黒猫さん,タローさんにも効果があったのだ(と聞いている)。

 だがしかし,僕はサッパリである。幸い出家に至らないが毎回きわどい。きわどい戦いが4月は続いている。「情けは人のためならず」で,まわりまわって自分に返ってくるはずのだが。

 そんな複雑な思いを胸に今日も水郷。GWに泊まりこみするまでの必要があるかどうかの下見でもある。いや,天候次第で行くことは決まってますよ。 は嫌だけどネ。


釣れそうな雰囲気・水温。それでも反応が少ないのはなぜ。

 理由はわかっている。スピニングを使っていないこと。周囲で釣っている人は,みなスピニングを得意としている。僕はベイトフィネスで応戦してきたが,プリ・アフターの神経質な魚に僕の技では食わせることができないのだろう。実際,過去の自分記録を読むと,「水路でスピニング炸裂」「ワームに転向したらうまくいった」などなど書いてあった。


朝6時2分にガツンとスピナベ成功。これで行けると思ったが。

 手袋をするほどの寒さになっていた水郷。でも水温はかなり暖かく,スピナベで行けると思っていた。そしてギラリと反転して食ったのが見えた。エキサイティング 最高の気分になった。アサイチで釣れたので気分が楽だ。
 
 しかし,自分の過去のレポートでも,この時期は外していることが多い。2014年などは,大雨のなかで水郷出家して,嘉襟之川で釣ったぐらいだ。この時期の水郷,どこもかしこも釣れそうに見えるので自分の好きな釣りにハマってしまう。それもアサイチで釣れたりするとなおさらで修正は容易ではない。要は,「スピナベ大会」をやってしまったということ
 


JBTOP50が北浦で開催されていたとは。

 トーナメント情報にすっかり疎くなってしまって,タローさんからの入電なければ存在すら忘れていたトーナメントの存在。

 そして10時頃。いいかげんワームにチェンジした。チェリーリグ・パワーバルキーホグ3インチである。何回もプルプルあたる。とりあえず嬉しいぞ


魚が咥えていた。でもこれでも釣れたうち。

 ブルーギルさん,超お久しぶりです。久々に会えた。そして次回はガルプで根こそぎ釣る決意もできた。まあ,水郷のギルは大きくないけど,釣れない釣りよりずっとマシ。この季節にガルプを使えば,ニゴイはどうかわからないが,バス・ギル・ナマズは釣れるはず。いや,釣ってきたしね。

 ここでお昼時。ついにそのときはきた。あの「あらいやオートコーナー」に行ってみよう


ヒレカツ弁当と焼き肉弁当。300円ずつ。マジで旨い。

 一人で2個食べました。いやあ,最初は「お釣りの表示がでません」「売り切れ表示もでません」などと書いてあったのでビビったが,ホカホカの弁当が出てきた(60℃での保管らしい・昭和40年代からのものとのこと)。さらに,タローさんによると,近所のおばちゃんが作っているとのこと。補給しているときに遭遇したそうです。

 とにかく,味もご飯もいい。もうコンビニ弁当なんて買えないな,というぐらいのもの。真夏はクーラー効いたところで休憩したいけど,これは本当に旨い。ちなみに,野菜ジュースとノンアルビールは自分のおこのみです。

 この後,17時までいろいろ回ったが,万歩計をふりきっただけ。そしてまたまた三郷で事故渋滞。毎週事故渋滞してるような気がするんだけど。今回もすごかったっす

 さて,次回は絶対スピニング。スピニングで釣る。そう決めておこう。でも,朝の2時間はスピナベタイムだな

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やっと秋色になりましたネ...。スマホでやっと撮影できた。

2024年12月02日 00時00分00秒 | オズマの独り言

 毎年紅葉が遅くなっている気がする,というより実際は「ヒートアイランド現象」の影響もあって,霜が降りることなんて毎年10回あるかないかという状況。

 ようやくこの写真は自宅から撮影できたもの。毎年挑戦しているが手ブレが酷くて見られたものではなかった。

 イチョウの紅葉はこうやって見ているだけならヤヤコシクないが,自宅はこのイチョウの近くなので「マジ,大変」なのだ。

 やっかいなのは,イチョウが腐らないこと。子供の頃,落葉焚きをしたものだが,イチョウを入れたら最後,火が消えてしまうのだった。

 そんな理由で,都内の街道沿いには「防火林」としての役割もあってイチョウが植えられている。

 でも,大雨が降ったあとのイチョウといえばスリップ事故。自分も自転車で転んだことがある。

 ケヤキもまだまだ残っている。

 ケヤキといえば,大学の住所は「けやき台1-1-1」だ。周囲は「入間郡毛呂山町」なのに大学だけ「坂戸市」。学生ながら「権力」がはたらいたことは容易に想像できたし,実際,建学においては駅の位置(大学の正門前まで誘致するかどうか)で地元ともめたそうである。

 自宅周囲にモミジは少ないが,たしか公園がそろそろライトアップするんじゃなかったかな

 紅葉シーズンに京都出張を「調整」できた頃は,本当に「やりたい放題」だった。結果は求められて苦しかったけど,裁量権は絶大だったなあ...


懐かしすぎて再掲【お別れ】初代「Scorpion-2000」と「BSS-2000ULS」へのレクイエム(2010/01/22初出の記事)

2024年12月01日 12時13分44秒 | オズマのバスタックル

 オズマがバス釣りをベイトリールを用いて始めたのは,1990年1月の埼玉県ビン沼川だった。当時は,ABU・ライトが195gというとてつもない軽量さを発揮していた。記憶では,当時の市場ではABUがまだまだ圧倒的に人気があり,チームダイワがその先進性でようやく日本の市場を変えつつあったころだったのではないか。

 だが,オズマのABU・ライトは,わずか数ヵ月後,1990年3月末の牛久沼で水没した。無理な釣行だった。前日夜から霞ヶ浦で釣りをし,クルマで寝てそのままボート釣り。途中で寝ぼけ眼になったオズマは,ふと手が緩んだ。そして竿(ダイワ・カーボウィスカー)とともにベイトタックルは消えた。

 その後,1990年4月29日。これが運命の水郷本格的釣行だった。
 まさに爆釣。北浦のどのポイントへ行っても5匹ぐらいはすぐに釣れる。それも,それまでの河口湖ナイトバッシングで苦労して釣っていた25cmそこそこでなく,いきなり40オーバーばかり

 だが,相変わらずタックルはスピニングだったので,抵抗の強いスピナベやクランクは敬遠されてしまっていた。

 そして1990年11月。卒業旅行が琵琶湖遠征,ということになり,オズマが次にやっと購入したベイトリールが「BSS-2000ULS」;「バンタム・スーパースピードマスター2000ULS」だったたしか,新宿のサンスイ(当時は薬屋さんの上にあったと記憶している)で購入したものだ。


そのコンパクトさに可能性を感じた。
そして5ボールベアリング。
ファイティン・スタードラグ。最新鋭の機構があった。



正面からみるとこんな感じ。独特のクラッチの位置
だったが,使いやすかった。



本当に使えるようになったのは1991年11月から。
潮来釣具でチューニングしてもらってからだ。


 このリールはいまのシマノとまったく異なり,マグネットブレーキである。そして,とにかく独特のデザイン。仲間内では「お前の好みは変わっている」と言われたが,パーミングがとにかくしやすく,それで購入したのだ。少ないバイト代がほとんど消えたのが印象に残っている

 だが,オイルの挿し方などをロクに勉強していなかったため,このリールが実際に活躍するのは1991年,実に1年後である。そのきっかけをつくったのが,初代スコーピオン2000である。


仙人の1990JBTAクラシック優勝に関わったリール。
遠心ブレーキで,驚きのスプール回転だった。



デザインは,当時「ダイワ」に似ているとも言われ
たが,このリールのコンセプト「Japan Style」に感激した。



クラッチも普通の位置に。最初は回りすぎて
遠投が難しかった。


 このスコーピオンは,社会人はじめてのボーナスで購入したものだ
 
  そして購入後。すぐに実戦で試したかったが,潮来まで行く交通費がない。仕方なく,足立区の花畑運河に行った。バスは釣れなかったが,ピッチングらしきものをずいぶん練習したものだ。

 そして,北浦での快進撃はまさにこのスコーピオンが火をつけた
 いままで飛ばせなかったポイントに届く。トルクもすごい キャスコンを締めればフルキャストもガンガン行けたので,とにかくこのリールがオズマの初期の水郷で大活躍した。

 そして1991年11月23日。友人Kとふと訪れた潮来釣具センターではなんとリールのチューニングを1台3000円で行ってくれるという。さっそく依頼した。友人とともに,オズマは上のスピードマスターとこのスコーピオン,友人はABU・1500Cを。

 作業が終わってビックリ。別のリールになっていた。いままでの回転をはるかに超える回転があった。

 だが,「爆釣=超ハードな連続使用」でもあった。とにかくガンガン遠投して釣った時代だった。竿も7フィートのBSR-1702を購入し,さらに沖へ沖へ,という釣り方をしていた。あっというまにリールが壊れていった。毎回オイル挿しなどのメンテはしていたが,ナツメ7号のヘビキャロなどもしていたので,リールにかかる負荷は相当だったのだろう。

 1993年12月。初代スコーピオン1501が発売された。そこからオズマはフルタイムレフトへ移行していった。効率をよくするために。若さゆえに。

 そして2010年。もうリールのストックは5台はある。上記のリールが復活することもないだろう。何より実戦投入できない。クラッチが死んでいるのだ。長く殿堂入りしていたが,ついに手放すときがきたようだ。

 さようならスコーピオン。さようならスーパースピードマスター。我が青春を支えたリール達。限られたスペースのために,これらのリールはどこかの中古店に並ぶだろう。

 本当にありがとう。このリール2台への思いは忘れないぞ(写真をしっかり撮影しておきました)


【1979年 俺はあばれはっちゃく】東野英心さん,久里千春さん,島田歌穂さん(ロビンちゃん)!

2024年12月01日 00時00分00秒 | オズマの懐かしいTVアニメなど

1979年 俺はあばれはっちゃく OP (ふりがな付き歌詞)



 超リアルタイムで観ていた番組だった。

 なんといっても父ちゃんの「父ちゃん情けなくって涙が出てくらあ」が印象に残っている。

 1979年は,小学5年生だったろうか。自身,こんな「ガキ大将」に憧れたし,そうなりたかった。だが,子どもにも様々なタイプがあり,自分の場合は「釣り」以外で胸を張れることなんてなかった。

 それにしても,もう45年前の作品。いやいやいや,10歳のときの自分は恥ずかしい限りだ。学校で出される宿題は「自らやらない」,テレビ(マンガ)ばかり観ていた。

 ただ,母のおつかいは我ながらすでにやっていた。なんといっても,野菜が多かった。「みかん」ダンボール一箱購入する時代だったからかな。自転車の前カゴにガッツリ積んでもらってそれを押して帰る,なんてことは普通だった。

 この時代,共働きは珍しかった。でも,自分は気にしなかったし,母が仕事で遅いときは父が面倒をみてくれたのである。まったくもって贅沢で恵まれていたんじゃないか,オレ

 それにしても,ロビンちゃんこと島田歌穂が出ていたとは...。記憶にないからビックリである。島田歌穂がミュージカルで活躍する頃は「当然だよな,ロビンちゃんだもの」と僕と同世代ならかならず一致していた意見。女子にも男子にもロビンちゃんは別格だったな。

 Youtubeのコメント欄には「こうした子どもが主役の番組がないのでは」との指摘があったが,果たしてどうなんだろう。形を変えて「ポケモン」やらになっているだけという気がするのであるが

 ちなみに,「鼻詰まり」だと思っていたら「鼻つまみ」であることがわかったのは,堀江美都子CDを購入したときだった(たぶん20年以上前)。

 なお,間違っても会社で「けんかはしません,いじわるもしません,みんなとなかよく,すすんでします」「なんちゃって,なんちゃって」なんて言ったら最後,大変なことになるから要注意だ(笑)。