1993.12.26の引退レースとなった有馬記念
有馬記念でビワハヤヒデを破って有終の美を飾った
パドックの電光掲示板には錚々たる馬の名が連なる
産経大阪杯の本場場入場 ※ 後ろはゴールデンアワーと亡くなった岡 潤一郎
産経大阪杯を1着でゴールを駆け抜けるトウカイテイオー ※ 2着 ゴールデンアワー
6戦無敗で皐月賞とダービーの2冠を制し、
ジャパンカップと有馬記念の勝利に輝いたトウカイテイオーが
8月30日に繫養先の社台スタリオンステーションで亡くなった。
死因は心不全だったというから、25歳という高齢から来るものだったと思われる。
トウカイテイオーについては、熊本日々新聞に3年間にわたって連載したエッセイで、
ダービー観戦後にトウカイテイオーとその背の安田隆行について書いたことがある。
その時の原稿記事 ( 原文のまま ) が以下である。
「 勝者に贈る 」
勝者に贈る
『 ヤ ス ダ 』 コールは
見ている者にも
それが伝わって
熱いものがこみ上げる
単枠指定の重圧を
ものの見事にはねのけて
快ピッチで風を切る
粘る レオダーバンも
追いすがる イイデセゾンも
一杯であえぐなか
『 これでもか! 』 と言わんばかりに
ゴール前また突き放す
苦労人 安田隆行を背に
一気に抜けた初夏の風は
ピンクが似合う
トウカイテイオー
これはダービー観戦後に作った詩である。
まさしく人馬一体であった。馬は騎手の言葉を聞きながら、騎手は馬の力を信じながら、
我慢を重ねて、満を持して追ったラスト1ハロン。
ここぞとばかりに加速して、粘るレオダーバンをアッという間に抜き去った末脚に、
父シンボリルドルフの面影を見た。
今年でジョッキー生活20年になる安田隆行は地味な存在である。
今年、皐月賞をトウカイテイオーで獲るまではクラシックに縁がなく、裏道ばかり歩いてた。
中京、小倉とローカル専門に挙げた勝ち星が通算550勝。
去年は83勝を挙げ、リーディングの3位と気を吐いた。
武 豊を筆頭に若手が台頭する中にあって、この成績は立派だ。
とくに去年12月の中京競馬において、1日6勝の新記録を打ち立てた。
このほかに数少ない重賞勝ちのほとんどが小倉で勝ったもので、
『 ローカルの安さん 』 の愛称でファンに親しまれている。
一昨年、夏の小倉でお会いしたことがあるが、律儀で頭の低い人だという印象がある。
以前なにかの本で、安田騎手の記事を読んだことがあるが、大変な苦労人である。
昭和48年に脳挫傷で5日間意識不明で生死の境をさまよったり、
56年には、左ひざの脛骨と腓骨複雑骨折し、再起が危ぶまれたほどの大怪我をしているが、
プロ意識で見事にカムバックした。
これまでやってこれたのも 「 毎日の努力のたまもの 」 という。
武 豊について「 距離にロスがない 」 。
「 そんな良いところをどんどん吸収して、そこを逆手にとってガンガン攻めてゆかなくちゃいけない。
それがプロだと思っている 」 と言う。
苦労人安田隆行が、この秋にトウカイテイオーで菊の大輪を咲かせてくれることを願っていたが、
故障とはまことに残念だ。
だが、これからまだ先のある馬だし、来春の天皇賞での活躍を期待したい。