
発掘調査中のナイクブ古墓群

残念ながら、目の前にある墓の中が見えそうで見えなかった

写真の左のムイ ( 森 ) にナイクブ古墓群がある
那覇市の国際通りを挟んで右と左にそれぞれ丘状になったムイ ( 森 ) がある。
東の 「 希望ヶ丘公園 」 に対して、西にあるのが 「 緑ヶ丘公園 」 である。
その 「 緑ヶ丘公園 」 は、国際通りから一本裏道に入ったニューパラダイス通りにある。
そこに 「 ナイクブ古墓群 」 と呼ばれる墓地があり、
緑ヶ丘公園整備事業として埋蔵文化財発掘調査が行われていた。
墓地を覆っていた木々が伐採されて古墓全体が目の前に露わになり、
きれいに古墓が見える状態になっていた。
発掘作業をしている人に 「 ちょっとでヨカけん墓ん中に入ってヨカですか? 」 って訊くと、
「 那覇市の教育委員会の許可がないと中に入ったらダメさ~ 」 という。
沖縄の墓は、亀甲墓と呼ばれるものが有名であるが、これは子宮をイメージしていると言われている。
だが、今回発掘調査をしている墓は亀甲墓よりも、もっと古い時代のもののようである。
破風墓から亀甲に移行する前のものか?
それより以前の横穴式の墓 ( 浦添ようどれ風 ) の時代のものであると思われる。
沖縄で一番古い亀甲墓は、中城にある護佐丸の墓だといわれているから、
それ以前の琉球王朝初期~中期のものではないかと思われる。
その構造から石灰岩を切り出し積み上げ漆喰で固めている様子がよく解かる。
墓の前庭、入り口の様子も見て取れる貴重なものである。
この一帯には亀甲墓もあり、王朝系の貴族や高官の墓がたくさんあるので、
発掘調査の結果で新しい発見があるかも知れないと思っている。
ただ、発掘作業をしている人によると、「 墓の中には人骨は無かった 」 ということである。
そういえば、 玉城にある尚 泰久や安次富金橋の墓にも遺骨は入ってなかったから、
こういうこともあるだろう。
ダメ元で再度 「 目の前の墓でヨカけん墓穴の中に入れてくれ! 」 と頼んだが、やはり断られた。
今度、機会があれば墓を調べてみたいものである。