「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市八幡東区 ・ 「 スペースワールド界隈 」

2015-07-21 06:11:41 | 写真




































  昨夜の夕飯の献立は思い出せなくても

      子供の頃の記憶は

       大人になっても

    鮮明に残るエピソード記憶

      その象徴的なものが

        遊園地だ






沖縄県那覇市首里汀良町 「 聞得大君御殿跡 ( チフィジンウゥンアト ) 」

2015-07-21 05:03:41 | 沖縄






















写真は、琉球王国時代の最高女神官 「 聞得大君加那志 ( チフィジンガナシ ) 」 の
神殿及び住居跡である。
 
尚真 ( しょうしん ) 王代 ( 1477~1526年 ) 、琉球王国の神女組織が整備され、
最高位の聞得大君 ( きこえおおきみ ) は国王を守護する 「 姉妹神 」 ( オナリ神 ) として、
国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣・航海安全を祈願した。
初代聞得大君は尚真王の姉妹月清 ( げつせい ) であったと伝えられている。
以来、王女・王母がその職につき、
1879年 ( 明治12年 ) の沖縄県設置 ( 琉球処分 ) に至るまで15代を数えた。
 
聞得大君の就任の儀式を 「 御新下り ( オララオリ ) 」 といい、
首里城を出発して与那原・佐敷を経由し、
知念間切にある聖地 「 斎場御嶽 ( セーファウタキ ) 」 に到り、
久高 ( くだか ) 島遙拝などの神事を行った。
 
王国時代に作られた 「 首里古地図 」 ( 18世紀初頭 ) によれば、
聞得大君御殿の敷地は汀志良次 ( ティシラジ ) ( 現汀良 ( てら ) 町 ) ・
大中 ( ウフチュン ) 村 ( 現大中 ( おおなか ) 町 ) で確認できるが、
最後はこの汀良の地に定められた。

当時石垣に囲まれた建物の敷地面積は約2,000坪であった。
沖縄県設置後、御殿の神殿は中城御殿 ( ナカグスクウドゥン ) ( 旧沖縄県立博物館敷地 ) に移され、
敷地・建物は明治中期以降に払い下げられ、個人の畑地となった。
1929年 ( 昭和4 ) に沖縄県立師範学校がその畑地を寄宿舎用地として購入し、
1945年 ( 昭和20 ) の沖縄戦の後には、首里中学校敷地のグラウンド一帯となった。



沖縄県与那原町 「 聞声大君の墓 ・ 三津武嶽 ( みちんだき )」

2015-07-21 05:01:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



「 聞得大君の墓 」 ( 三津武嶽 )





























三津武嶽の下にある「 我謝公民館 」












与那原にある 「 沖縄カントリークラブ 」 の南端の丘上、
鉄塔付近の岩下に聞得大君 ( きこえおおぎみ ) の墓がある。

聞得大君が琉球発祥の地、久高島に参詣される途中に強い逆風に遭い、
薩摩の国に漂流し、一命をとりとめることが出来たが、
琉球は日照りが続き、これは最高神女が他国に居る所為だと、神女たちはささやき合った。
君真物のお告げで、薩摩に居るからお迎えせよという。
そこで馬天ヌルを船頭に女ばかりで船を出した。
無事に聞得大君を乗せて帰還するが、
その時、既に彼の地で懐妊しており、王府からの招きを快しとせず、
与那原海岸の御殿山に庵を結んで一生を終えた。

三津武嶽は、聞得大君が死後、葬られたと言われる場所であると遺老説伝の伝わる所で、
「 友盛ノ嶽御イベ 」 ともいわれている。
現在は子宝の神として子宝を望む人のお参りが絶えない。

聞得大君は、NHKの 「 テンペスト 」 の中で高岡早紀が演じているので、
テレビを見た人は大方の人物像が解ると思うが、聞得大君について書いておきたい。


聞得大君(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ、チフィジン)とは、琉球神道における最高神女(ノロ)である。

「聞得」は大君の美称辞で、「君」は「カミ」の意で、従って「大君」は君の最高者という意味であるという説がある。
琉球方言で、チフィウフジンガナシ(聞得大君加那志)と称した。
宗教上の固有名詞となる神名は 「 しませんこ あけしの 」 「 てだしろ 」 である。

聞得大君は琉球王国最高位の権力者である国王のおなり神に位置づけられ、
国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。そのため、主に王族の女性が任命されている。
琉球全土の祝女の頂点に立つ存在であり、命令権限を持った。
ただし祝女の任命権は国王に一任されていた。
また、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管し、首里城内にあった十御嶽の儀式を司った。

就任儀礼

沖縄本島最大の聖地である斎場御嶽において就任の儀式である 「 御新下り 」 が行われた。
「御新下り」の本質は琉球の創造神との契りである聖婚 ( 神婚 ) 儀礼と考えられている。
宗教観念上は、この聖婚により君手摩神の加護を得て、聞得大君としての霊力を身に宿すのである。
就任後は、原則として生涯職である。

由来

琉球王国では、尚真王代に中央集権化と祭政一致が行われた。
この際に各地に存在していた神女をまとめるため神女組織が整備され、
その階位の頂点として新たにこの役職が設けられた。
ちなみにそれまでの琉球王国における祝女の最高位は佐司笠 ( さすかさ / または 「 差笠 」 と表記 )
職と国頭地方由来の阿応理屋恵(あおりやへ / または「煽りやへ」と表記 / 琉球方言読み:オーレー)職であり、
これらは聞得大君職制定のあと、全祝女の中で聞得大君に継ぐ第二位の格付けと降格されている。

その神名 「 しませんこ あけしの 」 は勢理客にあった既存の祝女職と同じであることが判明しており、
聞得大君職の元になった宗教概念が以前から存在したと考えられるが、
その詳細については不明な点がある。
また 「 てだしろ ( =太陽の依代 ) 」 はそれまで馬天祝女の神名であったが、
聞得大君職の制定とともに馬天祝女から剥奪された。

盛衰

尚真王の妹である音智殿茂金(神名、月清)が就任したのが最初である。
王国崩壊後もこの役職は存続し、戦時中の1944年に18代、
思戸金翁主が就任したのを最後に不詳年に廃職されている。


聞得大君の一覧

初代:月清(生没不明) 就任:尚真王代
二代:梅南(不明 - 1577年) 就任:尚元王代
三代:梅岳(不明 - 1605年) 就任:1577年
四代:月嶺(1584年 - 1653年) 就任:1605年
五代:円心(1617年 - 1677年) 就任:1653年
六代:月心(1645年 - 1703年) 就任:1677年
七代:義雲(1664年 - 1723年) 就任:1703年
八代:坤宏(1680年 - 1765年) 就任:1723年
九代:仁室(1705年 - 1779年) 就任:1766年
十代:寛室(1719年 - 1784年) 就任:1780年
十一代:順成(1721年 - 1789年) 就任:1784年
十二代:徳沢(1762年 - 1795年) 就任:1789年
十三代:法雲(1765年 - 1834年) 就任:1795年
十四代:仙徳(1785年 - 1869年) 就任:1834年
十五代:仲井間翁主(1817年 - 不明) 就任:1870年
十六代:安里翁主(1825年 - 1909年) 就任:明治年間
十七代:安室翁主(1874年 - 1944年) 就任:大正年間
十八代:思戸金翁主(1887年 - 不明) 就任:1944年。戦後廃職

(出典:「歴史・伝説にみる沖縄女性」比嘉朝進著、那覇出版社)