「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県中津市 ・ 大分県指定無形民俗文化財 「 中津祇園 」

2015-07-24 01:37:41 | 日記 ・ イベント



殿町・片端・古魚・古博多の法被








古博多・京町・新魚町の法被







下小路・龍王・堀川・姫路の法被







桜・豊後・角木の法被







諸町・新博多・殿町の法被





大分県指定無形民俗文化財の 「 中津祇園 」 は、
伝統584年以上を誇る ” 走る文化財 ” である。

勇壮にして華麗な中津祇園が、
今年も猛暑のなか、中津の旧城下町一帯を走り回る。

19日の汐かきを合図に、昨日は「町内まわり」で披露し、
今日の 「 引き出し 」 でテンションを上げ、
明日の 「 朝車 」 から佳境に入り、
それは26日の 「 戻車 」 まで続く。

この中津祇園のためだけに帰省する人も多く、
中津の人にとって、最も思い入れのある祭りである。



沖縄県八重瀬町 ・ 琉球競馬 「 具志頭 ( ぐしちゃん ) 馬場跡 」

2015-07-24 00:03:41 | 琉球競馬



かつて馬場だった具志頭公民館の前の道路








具志頭公民館





具志頭馬場跡は、具志頭グスクに通じる道沿いの公民館の前にあり、
ちょうど 「 JAぐしちゃん 」 の裏辺りになる。
馬場跡は公民館の前から直線で200mほど伸びており、
その形態は、かつての馬場跡を思わせる。

具志頭には琉球王朝時代から農民用の馬場があり、
農民の手で競馬が行われてきた。
それは 『 具志頭村史 』 にも記されており、
近世琉球時代から、明治の終わり頃にかけて具志頭、
新城、玻名城、安里、与座、仲座などで、
毎年、旧暦の4月に行われる畔払い ( アブシバレー ) の日や、
旧暦5月15日の稲穂祭、 ( グングゥチウチマー・5月のウチマー ) に
競馬が行われていた。



沖縄県八重瀬町具志頭 ・  「 具志頭グスク 」

2015-07-24 00:01:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスクの内郭にある 「 具志頭城内之御嶽 」








殿(どぅん)の右側にある神名「アカズ森之ベイ」






グスク入り口に立つ路標










具志頭馬場跡の関係からふたたびの掲載となった具志頭グスク。
具志頭馬場跡から海に向かって約300mほど行った場所にある具志頭グスク。

具志頭グスクは、具志頭集落の東南の海岸に突き出た崖の上に築かれたグスクである。
グスクの北西に城門があり、その左側から野面積みの城壁が部分的に残り、
西の小高い丘には物見台跡があり、「タカヤックヮ」と呼ばれている。
連郭式のグスクは城門付近が外郭とされ、グスクの北東付近が内郭とみられる。
内郭には城内之嶽や神名アカズ森之ベイが祀られている。

現在は、第二次世界大戦の戦没者慰霊塔が建てられ、
一部の遺構を除いては古城跡を偲ばせる面影はなく、
かつて一大勢力を誇ったであろうグスクの輪郭は失われてしまっている。

具志頭グスクは14世紀の中期頃に英祖王統、
第二代大成王の第三子、具志頭按司によって築城されたと言われている。
以来、代々具志頭按司の居城であった。
規模はおよそ2万5700㎡もあり、沖縄のグスク跡でも大きい方である。
城主の具志頭按司は、尚巴志による三山統一までは海外貿易を行い、
かなりの勢力を誇っていたといわれている。

具志頭グスクの最初の城主は言い伝えによると、
玉城村仲村渠ミントン家の百名世の主の長男・百名大主の九男が
具志頭按司になったというが、古代のことなので定かではない。
15世紀初葉の三山時代・具志頭按司は南山の配下にあった。
中山王・尚 巴志が南山を攻落。具志頭グスクには三男を派遣し、
具志頭王子を名乗った。
この尚 巴志の第一尚氏が滅び、第二尚氏王統に代わると、
具志頭グスクは廃城になり、城主は置いてない。

また、尚 寧王の弟の尚 宏王は、1600年に具志頭王子 ( 朝盛 ) と称した。
小禄御殿の四世であり、九世まで具志頭間切総地頭であった。


具志頭城跡へのアクセス
具志頭城跡へは、国道331号線をひめゆりの塔を過ぎて玉城方面に進み、
具志頭交差点の先のJA具志頭支店から右折して仲間橋を渡り、
そのまま真っ直ぐに道なりに進み、具志頭城跡の看板を右折すると
前に城跡公園がある一帯が城跡である。
高知県出身の慰霊塔 「 土佐の塔 」 を目標にした方が分かりやすいかもしれない。
駐車は、公園内の駐車場を利用できる。