日本最古の天主堂
ド・ロ神父と鉄川与助の二人によって建てられた大司教館
所在地 / 長崎県長崎市南山手5-3
竣工 / 大浦天主堂 1864年 ( 明治1年 )
旧羅典神学校 1875年 ( 明治8年 )
大司教館 1915年 ( 大正4年 )
設計者 / 大浦天主堂 ジュラール・フューレ神父
ベルナルド・タデオ・プチジャン神父
旧羅典神学校 マルコ・ド・ロ神父
大司教館 マルコ・ド・ロ神父、鉄川与助
大浦天主堂は、長崎の顔としてそびえる日本最古の天主堂である。
洋館建築としては初の国宝で、鎖国中も弾圧から逃れつつ、
連綿と信仰の灯を守った隠れ信徒たちが発見された場所としても名高い。
隣接してド・ロ神父の設計による旧羅典神学校と大司教館が
明治、大正期の宗教建築の実像を見せてくれる。
大浦天主堂についてご承知の方も多いと思うが、
大司教館について少しだけ書いておきたい。
大司教館について語る時に、マルコ・ド・ロ神父と鉄川与助のことを
忘れることは出来ない。
28歳の時に宣教師として来日したド・ロ神父は、大浦天主堂の司祭を経て、
当時辺境の地であった外海 ( そとめ ) 地区に赴任。
布教のかたわら数々の授産事業で住民を貧困から救い、ド・ロ様と慕われた。
70歳の時に大司教館の設計を始め、ここで鉄川与助と出会う。
鉄川与助は五島列島の生まれの大工棟梁で、当時30代半ばあった。
このとき、鉄川は設計施工の両方をこなす優秀な建築家でもあった。
もともと建築に長け、フランス時代から教会建築に携わっていたド・ロ神父は、
若くして意欲的に学ぶ鉄川を可愛がり、教会建築に関するさまざまな事柄を教えた。
鉄川自身もすでに15年ほどの経験があったが、
ド・ロ神父の素材選びや建築への姿勢に感化され、
その経験はのちの仕事に反映された。
ド・ロ神父は大司教館の竣工を見ることなくこの世を去り、大正4年に完成した。
一生を長崎での布教に捧げ、外海の人びとに父と慕われたド・ロ神父と、
九州における天主堂建築の巨匠、鉄川与助が出会った一瞬の煌めきが
今もなお大司教館に宿っているように思えてならない。