「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県朝倉市秋月  「 秋月悲話 ー 忠実と巷説と伝承 ー 」  水木ひろかず

2017-03-22 10:55:09 | 文学・文化・映画作品



腹切り岩の奥にある 「 恵利暢堯夫妻殉節之碑 」









腹切り岩





朝倉市秋月に 「 腹切り岩物語 」 という伝説がある。

「 天正15年 ( 1587年 ) 3月、秀吉は京都を発って九州平定の途に上る。
時に秋月氏は第16代秋月種実で、彼は島津義久と同盟し、
九州勢の第一線として秀吉軍を迎え撃つが、
北九州随一の堅城を誇った岩石城をわずか一日の戦いで攻め落とされて降伏する。
・・・これより先、種実の重臣の一人、恵利内蔵助は、
秀吉勢の強大なことは、秋月勢の到底抗しきれるものではないことを覚り、
戦わずに和を結ぶことを進言するが、種実の理解を得られず、
却って怒りを買い、ついには自刃して果てるという悲劇に終わっている 」

この自刃したところが 「 腹切り岩 」 と言われる。
水木ひろかずは、恵利内蔵助の子孫であり、
『 秋月史考 』 『 物語秋月史 』 や高鍋藩 『 本藩実録 』 などの
資料を紐解くうち、この物語に史実と異なる部分があることを知った。
『 秋月悲話 ー 史実と巷説と伝承 ー 』 は、
いくつかの説が残る内蔵助の出自や自害の真相を追求し、
一本にまとめたものである。

「 腹切り岩 」 は、3つの巨岩で、
中央の岩には昭和11年 ( 1936年 ) 内蔵助ゆかりの人々によって、
「 恵利暢堯夫妻殉節之碑 」 が建てられた。

秀吉勢に屈した秋月種実は、それまでの筑前、筑後、豊前の三か国を失い、
宮崎の高鍋藩三万石に移された。
その後、秋月には黒田長興が居城を置いた。

そんな秋月城跡には県の有形文化財の黒門と長屋門とが残っており、
秋には紅葉が美しく、観光の名所となっている。



第6位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 絵本 」

2017-03-22 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ



古宇利島のユタ・金城綾子さんが書いた古宇利島の神話絵本





昨日は朝から降ったり止んだりした雨は夕方には上がったが、
その雨が夜にまた降り出した。
今朝はそんな雨もすっかり止んで星がまたたき
月は南南東に浮かんでいた。
そんな今日の順位は6位で、
ラッキーポイントは、
「 絵本 」 である。

小さな嬉しい出来事があるから
少しだけ贅沢をしてもいいぞ!



   今日のコトバ

  恋に師匠なし


人を恋するということは、先生から教えてもらうような事ではなく、
恋する思いは誰でも自然に芽生えてくるものだということ。

恋というものは、つまり、一緒にいることができないため、
相手の異性と一緒にいたい! 会いたい!と思う気持ちであって、
こういう思いは、誰でも知らず知らずのうちに持つようになるということ。
しかし、その一緒にいたいという思いを相手に伝え、
上手にやっていくのは少し難しく、
他人への思いを伝えられず終わってしまう場合の方が多いかもしれない。

名前も知らなければ、話したこともない。
だけど気になって仕方ない。
それはもう恋の始まり。
恋はずっと自分の胸に仕舞っておくのがいいのかも知れない。



福岡県久留米市  「 久留米競輪場送迎バス 」

2017-03-22 00:06:54 | 競輪・オートレース






















日曜日に久し振りに競輪場に足を運んだ。
本場開催は無かったものの、
高松競輪のウインターカップの場外発売が行われていた。

この久留米競輪場はプロとしてのデビューした場所だっただけに
想い出深い競輪場である。

選手時代は宿舎で缶詰状態だったから見ることがなかった送迎バス。
これに乗って競輪場に足を運んでくれたんだと思うと感謝の気持ちで一杯である。