種牡馬時代のハードバージ
流れ流された流浪の名馬
福永洋一を背に皐月賞を内ラチ沿いから快勝したハードバージは、
日本ダービーでは1番人気に支持され、
期待を一身に背をって走ったが、
スタート直後挟まれる不利があり、道中も後方を進み、
最後の直線で大外から追い込んだが、
先行したラッキールーラをクビ差捉えきれず2着と敗れた。
競走後のハードバージは真っ直ぐ歩けないほど疲労しており、
厩務員と調教助手は 「 こいつ、こんなになるまで走って 」 と涙した。
また騎乗した武 邦彦もこの様子にもらい泣きし、騎手生活で唯一の涙を流した。
日本ダービーの競走後、ハードバージは屈腱炎を発症。
再起を図って治療が試みられたが快復に至らず、
ダービー以降出走のないまま1980年に引退した。
引退後は北海道門別町の門別スタリオンセンターで種牡馬となり、
初年度には48頭の交配相手が集まるなど当初は順調であったが、
産駒成績が振るわず、1986年に種牡馬シンジケートが解散。
「 余生を大事に送らせること 」 を条件として家畜業者の手に渡ったのち、
石狩市の乗馬クラブに引き取られて去勢され、
翌1987年には福井県の観光会社に譲渡された。
観光会社に譲渡後は観光客を乗せる引き馬や馬術ショーなどに使役され、
1987年3月~5月に彦根城で開催された世界古城博覧会のイベントで、
ハードバージは西洋の甲冑に身を包んだ中世の騎士を乗せたりしていたが、
同年7月に乗馬クラブでの放牧中に日射病に罹り、死亡した。
まだ14歳の若さだった。
皐月賞馬という名誉ある馬が、最後は観光馬車を引いて、
そこで生涯を終えた。
こんなに悲しい馬がいたことを忘れないでほしい。
父 ファバージ
母 ロッチ
生年月日 / 1974年3月15日
調教師 / 伊藤雄二 ( 栗東 )
馬主 / 吉嶺一徳
生産者 / 藤原牧場
産地 / 静内町
通算成績 / 11戦3勝 [ 3-2-1-0 ]
主な勝鞍 / 皐月賞 ・ 毎日杯
近親馬 / マチカネイワシミズ、リズムロッチ