「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

希望を抱かせる 「 飛行機雲 」

2018-01-03 16:13:37 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々



西に向かって飛んで行くⅠ本目の飛行機雲




























2本目の飛行機雲




















今日、ムサシの午後の散歩は3時過ぎに行った。
リードを引きながらフト空を見上げると、
冬晴れの青い空に透き通ったように見える旅客機が
一筋の雲を引きながら飛んでいた。

宇部から周防灘を横断して行くルートだから、
おそらく東京から福岡へ向かう便だと思う。
12月は流れ星を7つ見たし、
松の内に飛行機雲を二本も見た。

” こいつァ~春から縁起がいい ” と行きたいところだが、
初夢が良くなかったので、どうなることやら・・・



熊本県和水町 ・ 肥後に生まれた 「 和仁三兄弟 」

2018-01-03 06:06:26 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )












中央が親実、大太刀持ってる左が親宗、右が角兜を冠った親範。









長男、親実







次男の親範







戦国領主と南蛮娘との間に生まれ、「人鬼」と呼ばれた混血の若武者 ・ 三男の親宗












田中城 ( 和仁城 ) を拠点とし、
現在の熊本県北部和水町の旧三加和町の地域を支配した
肥後国の国人衆和仁親実の弟、親宗。父は和仁親続。
和仁親実、和仁親範、和仁親宗の三兄弟。
( 他にもう一人居た? ( 統実という人物 ) 説あり。 )

和仁氏は古代和邇族の末裔といわれ、
和邇氏族は、孝昭天皇の皇子、天足彦国押人命から生じた一族と称し、
和邇氏族の実在の祖は押彦命。
実態は三世紀頃の孝昭・孝安天皇の時代に生じた非皇別氏族とみられている。
奈良県天理市和爾町として地名が残る和邇の地が姓の由来。


肥後の玉名郡、和仁の領主・和仁氏は
古代豪族である和珥 ( わに ) 氏の末裔とされる国人。
古くは肥後の菊池氏に属していたが
菊池氏の没落後は豊後の大友宗麟に従います。

戦国、天正期の当主・和仁親続は玉名・筑後の数村を領して
田中城 ( 和仁城、鰐城 ) に拠っていました。

親続には親実、親範、親宗の三人の男子がありました。
その中でも、三男の親宗 ( ちかむね ) は身の丈が七尺六寸もある大男で、
顔は赤く、目は光り輝き、手足は熊のように力強く、
そのうえ動作は機敏であり、
その風貌から 「 人鬼 」 と呼ばれたと肥後の古記、和仁軍談に記されます。

親宗の母は、南蛮女であったと伝わります。
大友宗麟に従属した和仁親続は、豊後府内の宗麟の許へと赴きます。
そこで、宗麟は酒宴の趣向として異国の娘を親続に下賜します。
その娘はポルトガル人が宗麟に献上したオランダの娘であったといわれています。

その異国の娘は和仁の里で、 「 南蛮様 」 と呼ばれて暮らすのですが、
ほどなく病に罹り他界してしまいます。
が、親続と異国の娘の間には男子が生まれていました。
やがて、その混血児は日本人離れした容貌と体躯をもつ若武者として育ち、
武勇に優れ、常に先陣で戦い 「 人鬼 」 と呼ばれて恐れられたのです。

しかし彼はその容貌により、父からも疎まれたようです。
彼を 「 人鬼 」 と呼んだのも父の親続であったとも伝わります。


長崎県新上五島町 ・ 有川ターミナル  「 クジラに乗った少年 」

2018-01-03 00:15:08 | 離島めぐり







城みちるの歌ではないが、
こちらはクジラに乗った少年?というよりも
アベックだった。