「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県矢部村  「 良成親王御墓 」

2018-09-21 14:28:22 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )























































































































被葬者:良成親王(後村上天皇皇子)
墓  名:良成親王墓(よしなりしんのうのはか)
墓  形:円墳
所在地:福岡県八女市矢部村北矢部


北矢部御側 ( おそば ) 集落にある大杣公園の良成親王陵墓。
良成親王は征西将軍の職を叔父の懐良親王 ( かねよししんのう )  から譲り受け、
南朝方の将軍として九州を守っていた。
しかし、中央における吉野南朝の衰退によって大勢は一変、
1372年に大宰府が陥落し、
良成親王も失意のうちに元中9年 ( 1392年 ) 、
ここ大杣の御所で35歳という若さで亡くなられた。
現在でも、命日である10月8日には
親王を偲ぶ 「 大杣公園祭 」 が催され、浦安の舞が奉納される。
なお、周辺の御側 ( おそば ) という地名は
親王の「 お側 」 に仕えた人々が、
親王亡 き後に住んでいたためといわれている。


良成親王(よしなりしんのう/ながなり )は、
南北朝時代から室町時代初期にかけての南朝の皇族。

近世の南朝系図によると、後村上天皇の第七皇子で、
母は越智家栄の女・冷泉局( 新待賢門院冷泉 )とされるが、
同時代史料には名が見えないため、親王の実在自体を疑う説は少なくない。
だが、征西将軍懐良親王( 後醍醐天皇皇子 )の跡を継承して
九州南軍を指揮した後征西将軍宮(のちのせいせいしょうぐんのみや)とは、
良成親王に比定されるのが旧来の通説であり、
他に有力な異説も見当たらないため(後述)、
本項では後征西将軍宮の事績を親王のそれとして記述する。


第2位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 最近買った本 」

2018-09-21 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ








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二十八宿  鬼 ( き )  大吉日にて何事にもよし。


     今日のコトバ

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 ( ラブレー  1494ごろ~1553ごろ  フランスの人文学者 医師 )