「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市門司区  ・ 門司風景 「 門司駅 」

2015-07-28 00:00:41 | 汽車・電車・駅・廃線路







































高校の3年間

ほとんど毎日のように

この駅を降りて

坂道を歩いて

戸ノ上山の下にある

競輪場まで通っていた


いまは もう無い

門司競輪場に・・・






長崎港  「 長崎は今朝も雨やった 」

2015-07-27 08:11:41 | 写真








         昨夜の台風は熱帯低気圧に変わった・・・

         なのに

         台風12号の影響で
         
         荒れた長崎港

         波風とは裏腹に

         船は

         ひっそりとたたずむ
         




      

大分県国東市 「 国東港古市C防波堤東灯台 」

2015-07-27 03:11:41 | 大分の灯台













灯台表番号 / 5002.3
ふりがな / くにさきこうふるいちCぼうはていひがしとうだい
標識名称 / 国東港古市C防波堤東灯台
所在地 / 大分県国東市 ( 国東港古市C防波堤南東端 )
北緯 / 33-30-0.86
東経 / 131-44-0.59
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度61カンデラ
光達距離 / 閃光4.5海里
地上~頂部の高さ / 8.48m
平均水面上~灯火の高さ / 11.0m 
地上~灯火の高さ / 8.1m
業務開始年月日 / 平成8年1月30日
現用灯器 / LED灯器 10W型( LD )




北九州市門司区 ・ ドルチェ 「 焼きカレードーナツ 」

2015-07-27 01:00:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子
































門司港にある焼きカレードーナツの店 「 ドルチェ 」 。
以前から知ってはいたが、
焼きカレーを食べたあとに 「 焼きカレードーナツ 」 はどうかと・・・
それで敬遠していたが、今回は焼きカレーを食べなかったので、
焼きカレードーナツを買って帰った。

味は・・・
” カールのカレー味をドーナツにしたような物 ” を想像していただければいいだろう。

この他に、バナナ・めんたい・きな粉・苺などのドーナツがあったが、
焼きカレーだけにしたのが悔やまれる。

次回は色んな味を買って帰りたいと思っている。



長崎市 ・ 日本最古の天主堂 「 大浦天主堂 」

2015-07-27 00:37:41 | 教会



日本最古の天主堂







ド・ロ神父と鉄川与助の二人によって建てられた大司教館











所在地 / 長崎県長崎市南山手5-3
竣工  / 大浦天主堂 1864年 ( 明治1年 )
      旧羅典神学校 1875年 ( 明治8年 )
      大司教館  1915年 ( 大正4年 )
設計者 /  大浦天主堂 ジュラール・フューレ神父
             ベルナルド・タデオ・プチジャン神父
      旧羅典神学校  マルコ・ド・ロ神父
      大司教館    マルコ・ド・ロ神父、鉄川与助


大浦天主堂は、長崎の顔としてそびえる日本最古の天主堂である。
洋館建築としては初の国宝で、鎖国中も弾圧から逃れつつ、
連綿と信仰の灯を守った隠れ信徒たちが発見された場所としても名高い。

隣接してド・ロ神父の設計による旧羅典神学校と大司教館が
明治、大正期の宗教建築の実像を見せてくれる。


大浦天主堂についてご承知の方も多いと思うが、
大司教館について少しだけ書いておきたい。

大司教館について語る時に、マルコ・ド・ロ神父と鉄川与助のことを
忘れることは出来ない。

28歳の時に宣教師として来日したド・ロ神父は、大浦天主堂の司祭を経て、
当時辺境の地であった外海 ( そとめ ) 地区に赴任。
布教のかたわら数々の授産事業で住民を貧困から救い、ド・ロ様と慕われた。
70歳の時に大司教館の設計を始め、ここで鉄川与助と出会う。

鉄川与助は五島列島の生まれの大工棟梁で、当時30代半ばあった。
このとき、鉄川は設計施工の両方をこなす優秀な建築家でもあった。

もともと建築に長け、フランス時代から教会建築に携わっていたド・ロ神父は、
若くして意欲的に学ぶ鉄川を可愛がり、教会建築に関するさまざまな事柄を教えた。
鉄川自身もすでに15年ほどの経験があったが、
ド・ロ神父の素材選びや建築への姿勢に感化され、
その経験はのちの仕事に反映された。

ド・ロ神父は大司教館の竣工を見ることなくこの世を去り、大正4年に完成した。
一生を長崎での布教に捧げ、外海の人びとに父と慕われたド・ロ神父と、
九州における天主堂建築の巨匠、鉄川与助が出会った一瞬の煌めきが
今もなお大司教館に宿っているように思えてならない。


長崎県五島列島 ・ 福江島 「 コッテージ・スモーキィ 」 がある半泊

2015-07-26 16:11:41 | 離島めぐり



「 さとうのしお 」 と書かれたユニークな看板








目の前に広がる半泊湾







コッテージ・スモーキィの前にある教会の石積み







半泊の集落に降りて行く分かれ道の案内板





昨日の 「 人生の楽園 」 で紹介された 「 コッテージ・スモーキィ 」 。
ここで佐藤さん夫婦が天然の塩づくり「 さとうのしお 」 の販売や
「 コッテージ・スモーキィ 」 を経営している。

佐藤さん夫婦がカリブ海の島で暮らし、
そして老後移住したのが長崎県五島列島福江島の
福江市から約30分のところにある半泊 ( はんどまり ) 地区です。


「 コテージ・スモーキー 」 は1組だけ泊まれる贅沢なコテージで、
” 薪ストーブの煙 ” がその名の由来らしいです。
風呂はもちろん、薪で沸かす五右衛門風呂です。

ここは、プライベートでの生活が満喫できる設備が完備されているので
家族連れや友達と行くのには最適です。

また、 「 コッテージ・スモーキィ 」 では、塩作り体験や
日本蜜蜂の養蜂の体験で採蜜やピザ作り、さらに里山整備味噌作り、
そして五島の半泊湾での釣りやシュノーケリングなどのほか、
山ではトレッキング、山菜採り、椿の実採取などなどが楽しめるそうです。

この半泊へは、福江から堂崎を過ぎて宮原から糸串鼻方面に入って行き、
曲がりくねった細い道を2~3キロ走らねばならない。
途中にある写真の小さな看板から降りた所が半泊地区である。

ここから眺める久賀島との間を流れる田ノ浦瀬戸が素晴らしく、
家が数件しかない長閑な場所である。
「 あの対岸に見える教会は何ですか? 」 と訊ねると、
わざわざ草刈機のエンジンを止めて、浜脇教会だと教えてくれた。


で、 「 さとうのしお 」 の看板だが、これを見て、
” 砂糖で出来た塩なのか? ” と、バカげた解釈をしてしまったが、
自分の知っている場所がテレビに出るとウレシイものである。
今度は泊まるか、そうでなければ食事をしていこうと思っている。




競馬点描 ・ 心象風景 「 風 炎 」

2015-07-26 06:37:41 | 競馬・ボート








      己が血を燃やし

      風炎の中を

      疾走する馬を

      どれだけ見てきただろうか

   





北九州市門司区 ・ 門司港風景 「 門司港駅 」

2015-07-26 00:03:41 | 汽車・電車・駅・廃線路


































      門司港駅は

      九州旅客鉄道の起点駅で

      長いプラットホームが

     「 ここから九州の旅が始まる 」

     そんな雰囲気を醸し出している






「 町議会議員選挙 」 投票日

2015-07-26 00:00:41 | 日記 ・ イベント



選挙期間中、昼間は自転車で回り、その後は辻説法と多忙だった







山奥まで黙々と自転車を漕いで有権者に訴えて回った





今日は、わが町の町議会議員の投票日である。

もう、ずいぶん昔のことだが、
町政発展と子育て支援などの充実を掲げて出馬し、
町議会議員を2期8年務めたことがある。

最初の選挙は出馬を思い立ってから2ヶ月後が投票だったので、
まさかまさかの当選であった。
当時、現役の競輪選手だったので、
” 二足のわらじ履く ” ことに対し、
色いろと批判されたこともあった。

十分に練習できない状態で競輪に参加することは
競輪ファンには申し訳なかったが、
公務優先で目一杯頑張らせてもらった。

その次の二期目の選挙は選手を辞めて、もう一度選挙を戦ったが、
オリンピックではないが、4年に一度の選挙戦はシビレルものだったが、
公示の時は、大体の票読みが出来ていたので、
その時点で当落があらかた予測できたものである。


今夜遅くには当落の結果が出るだろうが、
何れにしても脆弱な財政状況の中、
地方創世を目に見えるカタチで実現してもらいたい。
そのためには、議員一人一人が身を切る思いで頑張ってもらいたいものである。



長崎市大波止 「 長崎は今日も暑かった 」

2015-07-25 20:59:41 | 写真



























長崎は今日も暑かった。





競馬点描 ・ 心象風景 「 ホライゾネット 」

2015-07-25 15:11:41 | 競馬・ボート














     ネットの奥は
     目を剥いて熱り立つ
     その気性の激しさから
     ネットを装着する

     そんなキースが大好きで
     愛犬ピースの名前は
     好きなニホンピロキースの
     キースの予定だった





ニホンピロキース

父 タマモクロス
母 ニホンピロポリーナ

生年月日 /  2001年5月6日
調教師  / 服部利之 (栗東)
馬主  / 小林百太郎
生産者  / 福岡清
産地 /  静内町
中央獲得賞金 /  20,928.0万円
通算成績  / 49戦6勝  [ 6-10-9-24 ]
主な勝鞍  / 07,メルボルンT ( 1600万下 )



大分県国東市 「 太郎岩照射灯 」

2015-07-25 00:02:41 | 大分の灯台

























































灯台番号 / 5257
ふりがな / たろういわしょうしゃとう
標識明 / 太郎岩照射灯
所在地 / 大分県国東市 ( 琵琶崎灯台の東方約1.6キロ )
北緯  / 33-41-12
東経  / 131-34-45
塗色  / 白色
構造  / 塔形   
構造材質 / コンクリート造
灯質  / 不動白光
実効光度  / 2,500,000カンデラ       
頂部までの高さ / 6.7m
平均水面から灯火まの高さ / 45.25m
現用灯器  / LE-60型  
電球 / MT-150
設置、点灯および業務開始年月日 / 昭和46年2月5日



豊後高田港流動堤に行くのも困難だったが、
この太郎岩照射灯へ行くのも困難だった。
国東半島の竹田津港と伊美港の中間にある種田漁港へ行かねばならない。
その種田漁港へ行くまでのルートも人に聞いて行かねばならないくらい
解かりづらい場所だった。
さらに種田漁港に着いても太郎岩照射灯の場所は解かりづらく、
探し出すのも大変だった。

種田漁港へは、伊美港がある国見の町中を涛音寮の方に入り、
国見病院の前の道を山に向かって進み、
二股になった場所から(種田)と書かれた小さな看板から左へ入り、
道なりに2キロほど行くと種田漁港に到着する。
その種田集落の入り口に山に向かって右手に坂道があるので、
その坂道を200mほど登ると、ヘアピンのように左に入る道(ガタ道)がある。
そこを150mほど歩いて行けば、照射灯に行き着く。

車はガタ道の入口の空き地に駐車スペースがあるので、
そこに停められる。


琉球自販機 ・ 沖縄限定 「 琉球コーラとさんぴん茶 」

2015-07-25 00:00:41 | 沖縄














沖縄以外では見かけることがないと思われる
琉球コーラとさんぴん茶だが、
沖縄じゃ当たり前に自販機で見かける光景である。

コーラは内地とあまり変わり映えはしないけど、
さんぴん茶はジャスミン茶だが、
あのお香のような独特な味が忘れられずに、
たまに飲みたくなる時がある。




大分県中津市 ・ 大分県指定無形民俗文化財 「 中津祇園 」

2015-07-24 01:37:41 | 日記 ・ イベント



殿町・片端・古魚・古博多の法被








古博多・京町・新魚町の法被







下小路・龍王・堀川・姫路の法被







桜・豊後・角木の法被







諸町・新博多・殿町の法被





大分県指定無形民俗文化財の 「 中津祇園 」 は、
伝統584年以上を誇る ” 走る文化財 ” である。

勇壮にして華麗な中津祇園が、
今年も猛暑のなか、中津の旧城下町一帯を走り回る。

19日の汐かきを合図に、昨日は「町内まわり」で披露し、
今日の 「 引き出し 」 でテンションを上げ、
明日の 「 朝車 」 から佳境に入り、
それは26日の 「 戻車 」 まで続く。

この中津祇園のためだけに帰省する人も多く、
中津の人にとって、最も思い入れのある祭りである。



沖縄県八重瀬町 ・ 琉球競馬 「 具志頭 ( ぐしちゃん ) 馬場跡 」

2015-07-24 00:03:41 | 琉球競馬



かつて馬場だった具志頭公民館の前の道路








具志頭公民館





具志頭馬場跡は、具志頭グスクに通じる道沿いの公民館の前にあり、
ちょうど 「 JAぐしちゃん 」 の裏辺りになる。
馬場跡は公民館の前から直線で200mほど伸びており、
その形態は、かつての馬場跡を思わせる。

具志頭には琉球王朝時代から農民用の馬場があり、
農民の手で競馬が行われてきた。
それは 『 具志頭村史 』 にも記されており、
近世琉球時代から、明治の終わり頃にかけて具志頭、
新城、玻名城、安里、与座、仲座などで、
毎年、旧暦の4月に行われる畔払い ( アブシバレー ) の日や、
旧暦5月15日の稲穂祭、 ( グングゥチウチマー・5月のウチマー ) に
競馬が行われていた。