長い直線の道路だけがかつての馬場跡の面影を残している
ユインチホテル南城
大城按司のポンドウ御墓
古戦場だった稲福グスク ( 稲福殿 ・ 拝所 )
南城市大里町真境名の東端は、旧佐敷町小谷との境になり、
ユインチホテル南城や大城按司のポンドウ御墓が近くにある。
その尾根にある長堂馬場で行われた競馬に大歓声が上がったのは、
大里、佐敷、知念、玉城の四間切による対抗競馬が大詰めを迎えた時だった。
大里・長堂馬場は18世紀作成の琉球国惣絵図にも描かれており、
南北に延びた形状は明治13年の沖縄県統計概表によると、
直線三町 ( 327メートル ) 、幅員13間 ( 約23メートル ) と、
沖縄本島南部最大の規模であった。
参考までに現在の規模としては、京都競馬場の直線 ( 内回りコース ) と、
ほぼ同じ長さの琉球競馬には珍しいロングコースだった。
現在、養鶏場となった場所にはかつての馬の運動場や
水飲み場があったと地元の人達が教えてくれた。