「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県福岡市 ・ JR博多駅 「 朝の改札口 」

2015-12-11 17:41:00 | 汽車・電車・駅・廃線路






高浜虚子の句に、 「 人並みに押されてくるや酉の市 」 というのがあるが、
まさに、 「 人並みに押されてくるや改札口 」 だった。




第4位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 手袋とマフラー 」

2015-12-11 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

       この記事を書き終わったら、
       9時からの講習に間に合うように
       博多に行く準備をしよう。 
       
       今日は、博多駅のマイングのオープンだから
       駅構内はもちろん、
       周辺も多くの人で混み合っているだろうな。

       とくに人混みが苦手だから・・・
       こんな時に限ってである。

       そんな今日の順位は4位で、
       ラッキーポイントは
       「 手袋とマフラー 」 である。

       今日は貴重な体験ができる予感?
       毎日が貴重な日だから・・・
       少しだけ期待しておこうかな。



長崎県佐世保市 ・ 戦火をくぐり抜けた 「 三浦町教会 」

2015-12-11 02:41:37 | 教会

















 ” 佐世保大空襲から生き残った教会 ”


三浦町教会は、佐世保駅の前を通る国道35号線を挟んで、
左手の丘の上に天高く建っている。
その美しい教会が戦火をくぐり抜けて来たとは誰も思わないだろう。
ホワイトグレーの教会は、凛とした立ち姿で軍港である佐世保の港を見下ろしている。
そんな佐世保の街へ、平戸、田平、長崎、外海などから多くの信徒が移住してきたので、
明治30年 ( 1897年 ) 、谷郷町に初代の教会ができ、
昭和6年 ( 1931年 ) に現在の聖堂が建てられた。

昭和のはじめ、早坂司教が推進して造られた強固な鉄筋コンクリートの教会堂6棟の、
そのうちの1棟が、この三浦町教会である。

当時、周囲には高い建物がなく、佐世保港に入って、
まず最初に三浦町教会の十字架が目に入って来たという。
しかし、軍事施設を一望に眺められることもあり、
戦争中は使用を規制されたこともあったという。

美しいゴシック建築だが、設計者、施工者共に不明である。
また、太平洋戦時下においては、異教として軍部の圧迫を受け、
空襲の目標になりにくい様に黒く塗られ、戦火から免れた大変貴重な教会である。

教会の正面中央の四角塔の玄関部は、中段から八角塔に変わり、
さらにその上には角錐の大尖塔が載っている。
左右の八角塔も角錐の小尖塔が天に向かって鋭く垂直に伸びる姿には、
圧倒する風格がある。

重曹屋根の教会の上層の側面は柱ごとに円形の高窓があり、
下層の側面には尖頭アーチ形の縦長窓が並び、
神秘的な光の空間を作り出している。
内部はリヴ・ヴォールト天井で、主廊の幅が側廊に対して広く、
同じ頃に建てられた他の鉄筋コンクリート造の教会にはない特徴である。


所在地  /  長崎県佐世保市三浦町4-25

教会の保護者  /  イエズスのみ心

平成16年 ( 2004年 ) ・ 佐世保市景観デザイン賞


福岡県飯塚市 「 牛牛うどん 」

2015-12-11 01:14:08 | ラーメン・うどん・そば























「 早い安いうまい 」 の看板




「牛牛うどん」は、飯塚市街地を通る国道201号線を、
飯塚市内から八木山峠へ向かうと蓮台寺小学校付近にある。
「 早い安いうまい 」 の看板通り、牛肉と肉うどんが美味しい。
この日は、肉うどんにごぼう天をと思ったが、 ” うどん ” ではなく、
ご飯が食べたかったので、食券の ” 牛丼 ” ボタンを押した。

「 牛丼 」 は、和牛肉を使用しており、甘めに炊かれたやさしい味わい。
丼の表面をうめつくすほど大量に盛られているのが嬉しい。
チェーン店では味わえない美味しさである。
価格も手頃なので、満足した美味しい料理が楽しめる。


住所 /  福岡県飯塚市伊川429-1
営業時間  / 11:00 〜 23:30
定休日  / 毎週水曜日
電話番号  / 0948 - 21 - 2904

福岡県行橋市 ・ シャトレーゼ 「 3種のフルーツロール 」

2015-12-11 00:41:06 | パン ・ ケーキ ・ お菓子























昨日、博多までの4枚キップや、
買い溜めしたいものや必要な物などを買った。
その帰りに、シャトレーゼに寄って、
一度食べてみたかった 「 3種のロールケーキ 」 を買ってみた。

いつも購入する個人で作っているロールケーキに比べると、やや物足りない感じがしたが、
雨音を聞きながらのティータイムは、 「 ほっと 」 ひと息つける時間だった。

今日は、水道管の講習で早朝から博多に行かねばならない。
明日の熊本市美術展への作品搬入は、宅急便で送ったので、
熊本行きがなくなった分ゆっくり出来るが、
五島の探訪の資料と、スモーキーさんでの料理作りのメニューも考えて、
現地で調達できない調味料なんかは揃えておきたいし、
土産も持って行きたいので、土日はそれの準備をしたいと思っている。


第9位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 老舗のフレンチ 」

2015-12-10 06:02:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日まで、相浦、黒島、世知原、平戸、生月とめぐり、
帰りに佐世保と秋月に寄って帰ったが、
明日は博多で講習と試験があるので博多行きで、
土日は美術展の作品搬入で熊本行きを予定している。
そして来週は今年四度目となる五島へ行く。

今日は溜まった雑用を捌いて行こう。
そんな今日の順位は9位で、
ラッキーポイントは
「 老舗のフレンチ 」 である。
    
今日は悪印象を与えやすい日になりそうなので、
自己主張は控えて正解かも?


那覇空港駅 ・ 珊瑚で出来た 「 35 ( サンゴ ) COFFEE 」

2015-12-10 02:33:41 | グルメ






















試飲用のハイビスカスティー






買って帰った 「 35COFFEE 」




ゆいレールを降りて、那覇空港駅の改札口に向かうと、
特設の売店でハイビスカスティーの試飲が行われていた。
「 ん? 」 これは。と思い、ハイビスカスティーを頂いたが、
その横で販売されていた 「 35 」 の数字に目が行った。
最初は、子供向けの物を扱っているのかと思っていたら、
珊瑚で出来たコーヒーだと訊いて、
爆買いならぬ、 ” 即買い ” をしたわけである。

サンゴの島、 “ 沖縄 ” は、
かつては、 “ 琉球 ” と呼ばれていましたが、
それ以前は、 “ うるま ” と呼ばれていました。
うるまとは、うる ( サンゴ ) ・ ま ( 島 ) 。
このサンゴの島にしかできない焙煎方法がサンゴローストです。
サンゴ焙煎とは、風化した骨格サンゴを200度以上まで熱して、
コーヒーの生豆を焙煎したものです。

ふだん何気なく飲んでいる1杯のコーヒーから沖縄の海を救うことができたら?
生活のほんの一部を沖縄のためにさりげなくギフトできるのが 『 35 COFFEE 』 。
サンゴ焙煎という沖縄だけのオンリーワンなコーヒーです。

フツーに入れてもアメリカン?な感じだったから・・・
普段飲み慣れたコーヒーからすると、味、コクともに物足り無さは否めないかな。

そうそう、ハイビスカスティーは・・・
アセロラジュースのような感じのものだと思っていただけたらいいだろう。


福岡県赤村 ・ 平成筑豊鉄道 「 ピンクの you me 列車 」

2015-12-10 01:55:41 | 汽車・電車・駅・廃線路

























第3セクターの 「 へいちく ( 平成筑豊鉄道 ) 」 。
1両編成になっても、地域住民にとっては、
” なくてはならない存在 ” だ。
そんな 「 へいちく 」 の、
地域の大型ショッピングセンターの
ラッピングカラーをデザインした
ピンクの列車 「 you me 」 号が、
緑の山間地域から田園地域へと抜ける。

その色合いが田舎の絵の具に映え溶け込む。



長崎県平戸市 「 平戸瀬戸の夜明け 」

2015-12-10 00:26:41 | 写真



朝陽が昇る 「 平戸瀬戸 」




昨日の早朝。
平戸瀬戸を見ながら露天風呂に浸かっていた。

空には北斗七星が耀き、
わずかに見える稜線は、田平教会あたりだろうか?
そこから夜明けを報せるように
だんだん白くなってゆく。

海は、それとは関係なしに、
灯台や灯標が
星に負けないくらいチカチカと点滅していた。



長崎県新上五島町 「 カトリック大曽教会 」

2015-12-09 19:03:11 | 教会





































 洋上石油備蓄基地となったキリシタンの島を望む


明治12年(1879年)に、まず木造教会が青方郷裏迫に建てられたという。
明治末期ころから煉瓦造り教会の気運が高まり、
5つの集落の33戸の信徒が資金作りに励み、
大正5年(1916年)に完成している。
指導は大崎八重神父で、設計施工は鉄川与助によるものであった。

この聖堂の完成により、それまで使用していた木造教会は
若松島の土井ノ浦教会として移設した。
新しく出来た大曽教会は、鉄川与助の煉瓦造り教会建築に特徴的な
八角ドーム屋根の鐘塔を乗せた第一号である。
外壁は要所要所に鋸上装飾が施され、円形アーチの縦長窓が配されて、
煉瓦造りの鐘塔のずっしりとした重量感の中に、
温かさや優しさを醸し出している。

地区の住民がほぼ100%カトリックであるという大曽地区は、
外海町から移住してきたキリシタンの子孫で、
禁教令が廃止されてから、全員が潜伏キリシタンからカトリックとなった。
現在でも昔ながらに信仰を中心とした生活のリズムが保たれている地域である。

教会から望む青方湾の入り口にある折島は、
かつて大曽教会の巡回協会があったキリシタンの島だった。
生活や教育の問題から、島民は昭和51年(1976年)に集団移住している。
昭和63年(1988年)に、島に世界で初めての洋上石油備蓄基地が建設され、
大曽教会に向かう道からその石油基地が日を受けてキラキラと輝いて見えるという。



所在地  /  長崎県新上五島町青方郷2151-2

教会の保護者  /  イエズスの聖心

佐賀県佐賀市 ・ 2015佐賀バルーンファンタジア 「 キャラクター勢揃い 」

2015-12-09 02:36:41 | 日記 ・ イベント



2015佐賀バルーンファンタジア 「 キャラクター勢揃い 」

































































































        ふわふわと大空に舞う気球も魅力だが、
        こうしてキャラクターが勢揃いすると圧巻である。
        それぞれのバルーンが個性を発揮して
        ズラリと並んでいるさまは、
        まさにファンタジアである。



長崎県新上五島町 「 奈良尾港小奈良尾沖防波堤灯台 」

2015-12-09 00:39:41 | 長崎の灯台








































灯台表番号 / 6131
ふりがな / ならおこうこならおおきぼうはていとうだい
標識名称 / 奈良尾港小奈良尾沖防波堤灯台
所在地 / 長崎県奈良尾港 ( 小奈良尾沖防波堤外端 )
北緯 / 32-50-48
東経 / 129-03-52
塗色 / 白色
灯質 / 単閃緑光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 25カンデラ
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 10.42m
平均水面上~灯火の高さ / 16.1m 
地上~灯火の高さ / 10.2m
業務開始年月日 / 昭和50年3月24日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅱ型緑 )


本灯は、奈良尾港小奈良尾北防波堤灯台と同期している。



福岡県赤村 ・ 戸代城小夜姫伝説 「 蛇巻岩 」

2015-12-08 02:01:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



蛇がとぐろを巻いたように段々と螺旋になっている







今川の河川の片隅にポツンとある









「 蛇巻岩 」 は、福岡県赤村の山浦畑地区の今川にあり、
その昔、戸代城に小夜姫と呼ばれるきれいな姫がいた。
しかし、想いを寄せていた家臣に裏切られ城攻めにあい、
今川に身を投げて大蛇となり、
その大蛇が大岩に巻き付いたまま死んでいたという伝説からきている。

戸代山城跡は、平成筑豊鉄道油須原駅の北、
戸代山 ( 標高318m ) の頂上にある。
遠白山と称していたのが、戸代山と書くようになったと言われている。

本丸は、南北27m、東西18mほどの広さで、
中央に産霊大祖神社の祠がある。
本丸の南には東西62m、南国37mの広い平地があり、
ここが二の丸と言われている。
本丸の北東にかけて曲輪跡が続き、深い空堀と竪壕を配し、
石塁、畝状阻塞(連続竪壕群)、三重の空堀、土塁などを備えた
典型的な連郭式山城の姿を残している。

戸代山城は、延元4年・暦応2年(1339年)菊池武重によって築かれたと云われる。
南朝方の雄、菊池武重が豊前に攻め入り緒方氏を降して戸代山に城を築き、
肥後守武光を置いて守られたという。

応安3年(1370年)北朝方の畠山義深によって攻略され、
菊池氏は肥後へ退き、畠山氏の持城となったが、
応安5年(1398年)大内盛見によって畠山氏は滅ぼされ、
戸代山城は大内氏を追い落とした大友親泰の居城となった。

その後も大内氏、宇都宮氏(城井氏)、毛利氏によって争われたが、
天正年間(1573年~1592年)頃の城主は馬屋原左馬助元有であった。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐で元有は降伏を申し出たが許されず、
黒田孝高によって攻め落とされ、
その後の岩石城攻略時には、秀吉が戸代山城から観戦したという。

『 日本外史 』 には、岩石城をの戦況を望んだ秀吉が、蒲生氏郷の働きを賞し、
陣羽織を与えたと記してある。


福岡県杷木町 「 根性スイカ 」

2015-12-08 00:35:41 | 日記 ・ イベント














「 根性スイカ 」 があった杷木町の上池田公民館




先月、沖縄の金武町で季節外れの?スイカを頂いたが、
内地でも初冬にスイカが生っていたのを動画で撮っていたことを思い出した。
11月の冷たい雨が降る中、狭小の隙間からスイカの茎が生え、
その先にスイカが生っていた。

スイカを支えている板には、誰が書いたか分からないが、
「 根性スイカ 」 と書かれていた。

その横には大きな三階建ての家があった。


長崎県小値賀島 「 小値賀島のお土産 」

2015-12-08 00:24:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子























































これもお蔵入りしそうな記事だった・・・
小値賀島の小値賀アイランドツーリズムが運営している売店で買ったお土産である。

小値賀島に早朝に着いた人が夜が明けるまで仮眠できる場所を提供してくれたり、
民泊を含め、島の人が一丸となって色んな面でサポートしてくれる。
小値賀島の特産品の 「 落花生 」 を使った商品を買って帰ったが、
落花生の豆腐は、沖縄のジーマミ豆腐のように粘りがあり、
豆腐というよりも、山芋?のような、つきたての餅のような感覚である。

手作りクッキーも手作りならではの美味しさがあった。
今度は、暖かい時期に再度、宇久と合わせて訪れたい島である。