野崎ダムの下にある 「 キリシタン墓地 」
十字架が掲げられた、野崎島の南部にある 「 舟森集落跡 」
野崎島は、小値賀地区に属し、上五島とは目と鼻の先に位置する。
江戸時代後期ごろ中央部の野首には、
五島藩の要請で大村藩の外海から五島に渡った潜伏キリシタンが再移住した。
また、南部の舟森には小値賀の船問屋が、明日にも処刑される3人のキリシタンを
大村藩の海岸で見つけて送り届け、集落が形成された。
1865年の信徒発見の翌年、野首の信者が大浦天主堂を訪ね、一部は翌年に洗礼を受けた。
しかし、当時は禁教下で、野首と舟森の50数人全員が平戸に護送され拷問を受けた。
翌年に帰されるが、家財道具はすべて略奪されていたという。
無人島となった野崎島のキリシタン墓地は野崎ダムの下にあり、
突起した墓碑の十字架だけが目印のようにその存在を表していたが、
拝みの人が居ないのか?殆どの墓が雑草に覆われていた。
墓碑には、 一千八百九十九年
明治三十二年
三月廿六日 建 と刻まれており、
十字架の横板には ” JNON ” と、アルファベットで表記されていた。