紅梅賞でタニノサイアスとデッドヒートを演じたオキワカ ( 外・青帽子 )
オキワカ親子 ( 早来 ・ 吉田牧場 )
イチワカ親子 ( 早来 ・ 吉田牧場 )
今夜も後編が放送されるが、
昨夜、NHK二夜連続特集ドラマ 「 絆 ~ 走れ奇跡の子馬 」 の前編を観た。
それは、6年前の東日本大震災のことが鮮明に蘇って来るものだった。
東北から遙か離れた九州で震災を体験していないが、
それでもドラマを通して場面場面で当時のことが思い出されて
次から次へと涙が溢れた。
震災の日に生まれた仔馬リヤン・ド・ノール。
これは震災で犠牲になった拓馬が名付けた馬名で、
フランス語で ” 北の絆 ” という意味を持つ。
震災で物心ともに限界に来ている時に、
馬の世話は、さすがにヒンシュクを買うであろう。
だが、奇跡の生を受けた仔馬を競走馬として育てる。
そして、リヤンのGⅠレース出走を夢みる。
GⅠを獲るということはオリンピックで金メダルを獲るようなもので、
そんなに甘くないが、
それでも希望を捨てずに震災の日に生まれた仔馬に夢をかける。
人間は何かに生きがいを感じれば ” 頑張ってみよう ” と思えるものだと信じている。
このドラマには 「 震災の後の大変な生活を忘れないでもらいたい。
現在も苦しい生活が続いていることを認識してもらいたい 」 という思いが込められていると思う。
テンポイントやオキワカ ・ イチワカの母親 ( ワカクモ )
奇跡と言えば、テンポイントやオキワカを産んだワカクモの母クモワカも奇跡の馬である。
母クモワカ(繁殖名丘高)が5歳(現4歳)時、
1952年(昭和27年)冬に京都競馬場で発生した
馬伝染性貧血(伝貧)の集団感染騒動に巻き込まれ、
クモワカは家畜伝染病予防法第17条により京都府知事名で殺処分命令を受けた。
しかし関係者はクモワカの状態からこの診断について疑問を持ち、
取りあえずクモワカを学術研究用馬として京都競馬場の隔離厩舎に匿った。
そして引き延ばしに引き延ばして3年近く隔離状態に置かれた末、
1955年10月に突然姿をくらました。
クモワカを関係者が密かに北海道に連れ帰ったためであり、
早来の吉田牧場に匿われた。
やがて牧場はクモワカを血統名「丘高」の名で繁殖牝馬の登録申請を提出し、
登録協会が一旦は認めたが、
丘高が殺処分命令により死亡とされたクモワカであることを知ったため、
丘高の繁殖牝馬登録を取消し、
クモワカから生まれてきた産駒は競走馬登録をすることができず、
登録協会と牧場側との争いになった。
そんな中で、子供を産めることこそが非感染の証拠であるとして
1959年9月に東京地裁に馬主が訴え出て裁判沙汰に発展する。
クモワカが健康馬であること、産駒を出産して伝貧であることが誤診であることを
示しているという馬主側の主張は1963年秋に認められた。
そして他の馬主や生産者からの嘆願書を受けて登録協会が臨時の理事会を開き、
クモワカを再検査して健康と診断されれば登録を認めるという結論を出すに至り、
北海道庁の検査によりシロの結果を得て、
クモワカとその産駒は正式に登録が認められた。
こうして丘高の繁殖馬としての登録が叶った年に生まれた子がワカクモであった。
テンポイントの全姉オキワカは母の血を残し、
ワカテンザンやワカオライデンを産んだ。
そしてテンポイントの全妹のイチワカはキオイドリームを産んだ。
その奇跡の血はいつかまた花開く。
そして震災地東北もいつかまた花開く。