「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

佐賀県唐津市  「 高串港北堤防波堤灯台 」

2017-03-27 01:02:18 | 佐賀の灯台





















灯台表番号 / 5905
ふりがな / たかくしこうきたていぼうはていとうだい
標識名称 / 高串港北堤防波堤灯台
所在地 / 佐賀県唐津市 ( 高串港北堤防波堤外端 )
北緯 / 33-25-18
東経 / 129-49-24
塗色 / 白色
灯質 / 単閃緑光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 26カンデラ
光達距離 / 3.5海里
地上~頂部の高さ / 5.62m
平均水面上~灯火の高さ / 8.54m 
地上~灯火の高さ / 5.4m
業務開始年月日 / 昭和37年11月28日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅱ型緑 )


稀勢の里 寛 「 横綱という意識が優勝をさせた我慢の勝利 」

2017-03-26 18:44:08 | 相撲



新横綱として賜杯を受ける








国歌斉唱では、感極まって涙ぐむ





一昨日の日馬富士戦で痛めた左肩。
土俵に落ちた後、その光景に誰もが休場を予測した。
だが、そんな怪我を押して昨日も土俵に上がった。
そのことすら奇跡というか、無茶だと思った。
「 勝って欲しいが、これ以上悪化させて欲しくない。 」 と・・・

昨日の鶴竜戦を見ても 「 勝ち負けには程遠い 」 と思っていたが、
なんと、今日の照ノ富士との本割りで勝ち、
さらに優勝決定戦でも勝ってみせた。

その瞬間、膝を痛めても武蔵丸に勝って優勝した貴乃花の相撲を思い出した。
あの時と同じくらい感動した。

今日の稀勢の里の優勝は横綱という強い意識が後押ししたと思う。
そして誰もが予測しなかった優勝は、多くの人を感動させたに違いない。
それは今の時代ちょっとしたことでも ” 痛い痒い ” を言う若者と違い、
我慢すること、耐えることを信条とした昭和を思わせる稀勢の里の美学だと思う。

苦しい勝負を乗り切った優勝本当におめでとう!



第4回 高松宮杯の覇者 「 ハイセイコー 」

2017-03-26 17:04:01 | 競馬・ボート



第4回 高松宮杯の本馬場入場 ( 1974.6.23 中京競馬場にて )






父 チャイナロック
母 ハイユウ
生年月日  / 1970年3月6日
生産地  / 北海道 新冠
生産者  / 武田牧場
性別  / 牡
毛色  / 鹿毛
調教師  / 伊藤正美 ( 大井 )
鈴木勝太郎  / ( 東京 )
馬主  / ㈱ 玉優 ・ ㈱ ホースマンクラブ
競走成績  / 地方6戦6勝 ・ 中央16戦7勝
主な勝鞍  /  皐月賞・宝塚記念・高松宮杯・弥生賞・NHK杯
受賞歴 1973年 優駿賞大衆賞
1984年 顕彰馬に選出
2000年 NARグランプリ特別表彰馬

主な産駒  / カツラノハイセイコ・ハクタイセイ・サンドピアリス

競馬を知らない人でも知っていたハイセイコー。
デビューからNHK杯まで負け無しの11連勝と、
その強さから怪物という異名で呼ばれていた。
だが、12連勝とダービー制覇の夢は
タケホープとイチフジイサミに打ち砕かれてしまった。
そしてその勝利がフロックだと思われていたタケホープに
菊花賞でもハナ差交わされて涙をのんだ。
だが、負けてもその人気は凄まじく、
主戦騎手だった増沢末夫が 「 さらばハイセイコー 」 という歌をうたうほどだった。



ハイセイコーの2着なら 「 アイテイエタン 」

2017-03-26 12:11:46 | 馬の詩 ・ それぞれ...



昭和49年7月28日 小倉競馬場 ( 北九州記念パドックにて )





 『 ハイセイコーの2着なら 』  アイテイエタン 



  怪物ハイセイコーの登場で
  賑わう名古屋の街の祭典は
  高松宮杯と名付けられ
  老いも若きも熱い思いでやって来る
  関東の両タケデンに
  中京得意のグットキラメキ
  ローカルの鬼 ロッコーイチと
  次位争いに焦点が絞られる

  エタンの血を受け継いだ
  エリートホースのアイテイエタン
  スピード溢れる走りから
  爽やかなイメージを醸し出す

  ゴール前 離された集団の
  頭に抜けた差し脚は
  素質の良さを物語る





1974年 第4回 高松宮杯より



父 エタン
母 日高誉
生年月日  / 1970年4月23日
馬主  / 石黒 茂
厩舎  / 橋口厩舎
生産牧場  / 白浜真男
産地  / 浦河産
通算成績  / 74戦14勝


姉のマツカオリは女だてらに10勝を挙げ、
特に小倉で好走した 「 女無法松 」 と呼ばれるほど男勝りだった。
その弟のアイテイエタンは、姉ほど活躍しなかったが、
それでも高松宮杯でハイセイコーの2着に入る活躍を見せた。


第22回高松宮記念優勝馬 「 ミスタースペイン 」

2017-03-26 08:13:05 | 競馬・ボート















父 フィイリップオブスペイン
母 シーホークヨシオカ
生年月日  / 1988年5月3日
調教師  / 橋口弘次  ( 栗東 )
馬主  / 架谷外茂次
生産者  / ニシケンファーム
産地  / 三石町
通算成績  / 29戦6勝  [ 6-4-3-16 ]
主な勝鞍  / 高松宮杯(G2)

想い出のマーチステークス 「 クーリンガー 」

2017-03-26 04:10:51 | 競馬・ボート











佐賀記念の勝利





父 フォーティナイナー
母 クールアライヴァル
生年月日  / 1999年6月16日
調教師  / 岩元市三 (栗東)
馬主  / 林 進
生産者  / 浦河日成牧場
産地  / 浦河町
通算成績  / 61戦10勝  [ 10-13-5-33 ]
主な勝鞍  / 05'マーチS(G3)



クーリンガーは仏教の言葉が由来の名前で、
競走馬時代は「牛のようだ」と形容された真っ白な巨体で、
JRAでは札幌と福島を除く8場、
地方では7場の競馬場をまわり、
3歳から9歳春の引退まで61戦を走って10勝した。
途中屈腱炎での長期休養もあったが、
52戦で手綱をとった和田竜二とのコンビで重賞を6勝した。
重賞勝利のうち5勝は地方交流重賞であり、
初重賞勝利となった2002年サラブレッドチャレンジカップをはじめ、
のべ29戦を地方の競馬場で走った。
中でも佐賀記念には5回出走して1勝2着4回の成績を残し、
実況アナウンサーから「ミスター佐賀記念」とまで呼ばれた。
連対率100%の好成績を残したレースであった。
地方の佐賀に5年も連続して出走するのも大変なことだが、
それ以上に結果に残すことはもっと大変なことだと思う。

引退後は2008年春より優駿スタリオンステーションで種牡馬入りし、
5年間で49頭に種付け、うち31頭が血統登録されたが、
2013年を最後に種牡馬を引退し、
その後は乗馬として 「 にいかっぷホロシリ乗馬クラブ 」 で繋養されている。



第1回マーチステークスの勝ち馬 「 バンブーゲネシス 」

2017-03-26 00:18:41 | 競馬・ボート








父 バンブーアトラス
母 マドンナバンブー
生年月日  / 1989年5月21日
調教師  / 武 邦彦  ( 栗東 )
馬主  / バンブー牧場
生産者  / バンブー牧場
産地  / 浦河町
通算成績  / 26戦8勝  [ 8-3-3-12 ]
主な勝鞍  / マーチS(G3)
近親馬  / バンブーメモリー、バンブールミエール

芝では菊花賞まで出走した実績があるが、
その後、ダートに路線を変えて開花した馬である。
武 邦彦厩舎の管理馬で、主戦騎手として武 豊が手綱を取っていた。
ダートの重賞として新しく開設されたマーチステークスの
記念すべき第1回の勝ち馬がバンブーゲネシスである。



奄美大島 ・ ブラタモリ 「 ビッグⅡのハブ捕り棒 」

2017-03-25 19:49:43 | 離島めぐり



奄美大島のホームセンター 「 ビッグⅡ 」





ハブの多い奄美大島では必要不可欠のハブ捕り棒。
それがホームセンターでふつーに売っている。
そのビッグⅡへタモさんと近江アナが立ち寄った。





想い出の毎日杯の勝ち馬 「 ハードバージ 」

2017-03-25 11:09:34 | 競馬・ボート



種牡馬時代のハードバージ





流れ流された流浪の名馬


福永洋一を背に皐月賞を内ラチ沿いから快勝したハードバージは、
日本ダービーでは1番人気に支持され、
期待を一身に背をって走ったが、
スタート直後挟まれる不利があり、道中も後方を進み、
最後の直線で大外から追い込んだが、
先行したラッキールーラをクビ差捉えきれず2着と敗れた。
競走後のハードバージは真っ直ぐ歩けないほど疲労しており、
厩務員と調教助手は 「 こいつ、こんなになるまで走って 」 と涙した。
また騎乗した武 邦彦もこの様子にもらい泣きし、騎手生活で唯一の涙を流した。

日本ダービーの競走後、ハードバージは屈腱炎を発症。
再起を図って治療が試みられたが快復に至らず、
ダービー以降出走のないまま1980年に引退した。

引退後は北海道門別町の門別スタリオンセンターで種牡馬となり、
初年度には48頭の交配相手が集まるなど当初は順調であったが、
産駒成績が振るわず、1986年に種牡馬シンジケートが解散。
「 余生を大事に送らせること 」 を条件として家畜業者の手に渡ったのち、
石狩市の乗馬クラブに引き取られて去勢され、
翌1987年には福井県の観光会社に譲渡された。

観光会社に譲渡後は観光客を乗せる引き馬や馬術ショーなどに使役され、
1987年3月~5月に彦根城で開催された世界古城博覧会のイベントで、
ハードバージは西洋の甲冑に身を包んだ中世の騎士を乗せたりしていたが、
同年7月に乗馬クラブでの放牧中に日射病に罹り、死亡した。
まだ14歳の若さだった。
皐月賞馬という名誉ある馬が、最後は観光馬車を引いて、
そこで生涯を終えた。

こんなに悲しい馬がいたことを忘れないでほしい。


父 ファバージ
母 ロッチ
生年月日  / 1974年3月15日
調教師  / 伊藤雄二 ( 栗東 )
馬主  / 吉嶺一徳
生産者  / 藤原牧場
産地  / 静内町
通算成績  / 11戦3勝 [ 3-2-1-0 ]
主な勝鞍  / 皐月賞 ・ 毎日杯
近親馬  / マチカネイワシミズ、リズムロッチ


第1位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 ランニング 」

2017-03-25 07:00:31 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝はどんより曇って
星も月も見えない空だった。
気温は7度くらいと言っていたが、
ヒンヤリして気温よりも寒く感じた。
そんな今日の順位は1位で、
ラッキーポイントは、
「 ランニング 」 である。

自分の力を最大限に発揮して大成功!
先輩の意見を取り入れると効率がアップするぞ!


  今日のコトバ

 花より団子

花より団子とは、風流よりも実益、外観よりも実質を重んじることのたとえ。
また、風流を解さない人を批判するときの言葉で、
花見に行っても、見ていて美しい桜の花より、
腹の足しになる茶店のおいしい団子を喜ぶことからこう言われている。



想い出の中山日経賞 「 メジロライアン 」

2017-03-25 04:07:38 | 競馬・ボート







父 アンバーシャダイ
母 メジロチェイサー
生年月日  / 1987年4月11日
調教師  / 奥平真治  ( 美浦 )
馬主  / メジロ牧場
生産者  / メジロ牧場
産地  / 伊達市
通算成績  / 19戦7勝  [ 7-4-3-5 ]
主な勝鞍  / 宝塚記念 ・ 日経賞 ・ 弥生賞  ・ 京都新聞杯
近親馬  / メジロフルマー、メジロアニタ


いつでも大きなところ(GⅠ)が穫れると思っていた馬だった。
それだけ周囲からも恐れられていたが、
驚いたことに勝ったGⅠは、宝塚記念だけだった。


第20回 毎日杯の勝ち馬 「 ホウシュウエイト 」

2017-03-25 00:48:51 | 競馬・ボート



第20回の毎日杯 ( 1着 4番 ホウシュウエイト・2着 1番 ラズモフスキー ) 1973.3.4






父 チャイナロック
母 ブゼンタカフジ
生年月日  / 1970年3月29日
生産地  / 北海道 浦河
生産者  / 木戸口牧場
性別  / 牡
毛色  / 栗毛
調教師  / 日迫 清 ( 栗東 )
馬主  / 上田清次郎
競走成績  / 19戦8勝 2着6回 3着1回
主な勝鞍  / 毎日杯 ・日経新春杯 



ブゼンサカエの時も書いたが、
冠名にホウシュウやブゼンがついた馬を応援していた。
その代表的な馬がホウシュウエイトである。
このころハイセイコーやタケホープなどの関東馬が強くて、
なんとか関西馬が一矢報いて欲しいと期待を寄せていた馬である。


NHK二夜連続特集ドラマ 「 絆 ~ 走れ奇跡の子馬 ・ リヤン 」

2017-03-24 16:56:41 | 競馬・ボート



紅梅賞でタニノサイアスとデッドヒートを演じたオキワカ ( 外・青帽子 )









オキワカ親子 ( 早来 ・ 吉田牧場 )








イチワカ親子  ( 早来 ・ 吉田牧場 )





今夜も後編が放送されるが、
昨夜、NHK二夜連続特集ドラマ 「 絆 ~ 走れ奇跡の子馬 」 の前編を観た。
それは、6年前の東日本大震災のことが鮮明に蘇って来るものだった。
東北から遙か離れた九州で震災を体験していないが、
それでもドラマを通して場面場面で当時のことが思い出されて
次から次へと涙が溢れた。

震災の日に生まれた仔馬リヤン・ド・ノール。
これは震災で犠牲になった拓馬が名付けた馬名で、
フランス語で ” 北の絆 ” という意味を持つ。

震災で物心ともに限界に来ている時に、
馬の世話は、さすがにヒンシュクを買うであろう。
だが、奇跡の生を受けた仔馬を競走馬として育てる。
そして、リヤンのGⅠレース出走を夢みる。

GⅠを獲るということはオリンピックで金メダルを獲るようなもので、
そんなに甘くないが、
それでも希望を捨てずに震災の日に生まれた仔馬に夢をかける。
人間は何かに生きがいを感じれば ” 頑張ってみよう ” と思えるものだと信じている。

このドラマには 「 震災の後の大変な生活を忘れないでもらいたい。
現在も苦しい生活が続いていることを認識してもらいたい 」 という思いが込められていると思う。






テンポイントやオキワカ ・ イチワカの母親 ( ワカクモ )





奇跡と言えば、テンポイントやオキワカを産んだワカクモの母クモワカも奇跡の馬である。
母クモワカ(繁殖名丘高)が5歳(現4歳)時、
1952年(昭和27年)冬に京都競馬場で発生した
馬伝染性貧血(伝貧)の集団感染騒動に巻き込まれ、
クモワカは家畜伝染病予防法第17条により京都府知事名で殺処分命令を受けた。
しかし関係者はクモワカの状態からこの診断について疑問を持ち、
取りあえずクモワカを学術研究用馬として京都競馬場の隔離厩舎に匿った。
そして引き延ばしに引き延ばして3年近く隔離状態に置かれた末、
1955年10月に突然姿をくらました。

クモワカを関係者が密かに北海道に連れ帰ったためであり、
早来の吉田牧場に匿われた。
やがて牧場はクモワカを血統名「丘高」の名で繁殖牝馬の登録申請を提出し、
登録協会が一旦は認めたが、
丘高が殺処分命令により死亡とされたクモワカであることを知ったため、
丘高の繁殖牝馬登録を取消し、
クモワカから生まれてきた産駒は競走馬登録をすることができず、
登録協会と牧場側との争いになった。
そんな中で、子供を産めることこそが非感染の証拠であるとして
1959年9月に東京地裁に馬主が訴え出て裁判沙汰に発展する。
クモワカが健康馬であること、産駒を出産して伝貧であることが誤診であることを
示しているという馬主側の主張は1963年秋に認められた。
そして他の馬主や生産者からの嘆願書を受けて登録協会が臨時の理事会を開き、
クモワカを再検査して健康と診断されれば登録を認めるという結論を出すに至り、
北海道庁の検査によりシロの結果を得て、
クモワカとその産駒は正式に登録が認められた。
こうして丘高の繁殖馬としての登録が叶った年に生まれた子がワカクモであった。


テンポイントの全姉オキワカは母の血を残し、
ワカテンザンやワカオライデンを産んだ。
そしてテンポイントの全妹のイチワカはキオイドリームを産んだ。
その奇跡の血はいつかまた花開く。
そして震災地東北もいつかまた花開く。


そこまで来ている 「 春の予感 」

2017-03-24 12:22:23 | お題



開花まで ” あと一歩 ” といった状態の桜の蕾








福岡管区気象台観測課が桜の標本木の開花状況を調べている






きのう彼岸も明けて
昼間は春めいてきたが、
朝はまだ肌寒い。

桜の便りもそろそろ届く頃だと思うが、
足踏みを続けているようである。
そこまで来ている春の予感は、
開花宣言もそう遠くない



第2位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 スニーカー 」

2017-03-24 06:00:33 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝も冷えた。
鎌のように細い三日月は東南東に移動し、
薄っすらと雲に霞んでオボロに姿を見せていた。
そんな今日の順位は2位で、
ラッキーポイントは、
「 スニーカー 」 である。

ユーモアセンスが輝きそう?
ふとしたヒラメキを大切にしよう!


   今日のコトバ

 昨日に勝る今日の花

人の心の移り変わりが激しいことを表した諺である。