隈部親永( くまべ・ちかなが ? ~ 1588 ) は、
戦国時代の武将で肥後国の人。
赤星統家と争って隈部城を手に入れて阿蘇家に対抗するも、甲斐宗運に敗れる。
その後、島津氏と争い、豊臣秀吉の九州征伐により所領を安堵されるも、
佐々成政の検地に反抗して蜂起する。
叛乱は肥後一国に波及し(肥後国人一揆)、
叛乱の鎮圧には四国・九州の諸大名が動員され、
衆寡敵せず降伏した隈部親永は柳川城で自害した。
そんな隈部親永の像は、
平成21年 ( 2009年 )5月15日 ( 正式指定は7月 ) に、
熊本県山鹿市菊鹿町に残る隈部氏館跡 ( 永野城跡 ) が
国指定の史跡になることが発表された。
これを記念して、山鹿市で隈部親永の銅像を建立する計画が行われ、
平成22年(2010年)に山鹿市菊鹿町あんずの丘で着工した。
平成23年(2011年)に完成し、11月26日除幕式が行われた。
像の高さは5メートル、台座をあわせると10メートルで、
本妙寺の清正公像と並び県内最大級の武士像という。