昨晩遅く、ローマ法王ヨハンネス・パウロ二世の死が伝えられた。金曜日の最後の塗油の儀式の報道に従って、土曜日は朝から一部の放送が差し替えられていたようだった。TVを点ける習慣がないので報道を追うことは出来なかったが、車の中で付けたラジオの文化放送波では盛んにレクイエムの歴史とミサ典礼の説明がなされていた。しかしこれが予め制作してあったものかどうかは確認出来なかった。平素は如何してもプロテスタントの影響が大きい放送の現場であるが、同波の支局が大司教区マインツに位置してその放送域の半分はカトリック教徒だろうからこれは当然だろう。
事後の報道は未明になってから少し観たが、独TV第一・二放送ならびに第三放送は全て現地中継を含めて、特別番組が放送された。民放報道系も、CNNを含めてヴァチカンからの中継を交えた体制が取られた。フランスの第二放送も同様であった。その反面、民放娯楽番組等は予定通りの通俗番組を流して著しいコントラストを示した。
公共放送の立場からすると、カトリック教徒の視聴者への配慮を十分に示す事になる。街頭インタヴューなどもある程度フィルターがかかっている事は否めないが、概ね基調は変わらなかった。カトリック信者からは仲介者法王への精神的繋がりが吐露される。全世界のカトリック信者の数を考えると、この精神的繋がりから教会権力の構造を超えて、改めてその影響力の大きさが計り知れる。最も印象深かった現地中継は、法王が大司教を勤めたポーランド南部の古都クラコウでの様子であった。ここでは、仲介者としての法王である以上にポーランド人アイドルの法王が偲ばれていた。イタリアでは、特にローマではディスコや商店が閉められて喪に伏した。カトリックの圧倒的多数を改めて印象付ける。
中継の合間に各局で一晩中絶えず放送された映像から法王が偲ばれ、その業績が纏められる。空飛ぶ法王と言われた開かれた内部の宗教的改革と並んで、他宗派や他宗教との宗教交流などが挙げられる。特にアシシでの世界宗教会議の様子は今見ても圧巻である。
東西ドイツの統合に演じた役割は当然の事ながら強調される。特にゴルヴァチョフ氏との会談や共産圏下のポーランドへの里帰り風景は、歴史的なクライマックスであったろう。しかしドイツカトリック教会における法王との確執は、女性聖職者の扱いや避妊、中絶等の問題で大きかった事も指摘される。改革的な法王の飽くまでも護った最後の一線が浮き彫りにされる。二度のドイツ訪問、それも二度目の青年達との席で、現実に即したカトリック教会のあり方を問われると、腰掛けたまま下を向いて目を閉じてしまうのが印象的である。このような意見に対しては、決してその場では答えなかったという。それらは、ローマ教会が宗教的、道徳的権威を保つために決して譲れなかったのだろう。また、トルコ人司祭の起こした暗殺未遂事件での恩赦風景は、今日映像で振り返って見ても重要なエピソードとなっている。
結局録画でしか観れなかったが、最後の復活祭の声の出ない祝福も大宗教の最高聖職者としての面目躍如たるものであった。聖人へ名を連ねるとの噂もあり、その政治的な成果とは別に、青少年への働きかけ、メディアでの露出と合わせ現代における聖職者としての評価は高い。
ドイツ連邦政府は半旗を掲げた。フランクフルトでは直後に鐘が鳴ったというがここでは何も聞いていない。我が町は、カトリックが少数派なので現在のところ半旗は掲げられていない。3キロ先のカトリックの隣町とは幾分違った対応となるのだろうか。これから、27年前のあの日のように、確かヴァチカンの何処からか烽火が昇るまでは法王不在となる。
事後の報道は未明になってから少し観たが、独TV第一・二放送ならびに第三放送は全て現地中継を含めて、特別番組が放送された。民放報道系も、CNNを含めてヴァチカンからの中継を交えた体制が取られた。フランスの第二放送も同様であった。その反面、民放娯楽番組等は予定通りの通俗番組を流して著しいコントラストを示した。
公共放送の立場からすると、カトリック教徒の視聴者への配慮を十分に示す事になる。街頭インタヴューなどもある程度フィルターがかかっている事は否めないが、概ね基調は変わらなかった。カトリック信者からは仲介者法王への精神的繋がりが吐露される。全世界のカトリック信者の数を考えると、この精神的繋がりから教会権力の構造を超えて、改めてその影響力の大きさが計り知れる。最も印象深かった現地中継は、法王が大司教を勤めたポーランド南部の古都クラコウでの様子であった。ここでは、仲介者としての法王である以上にポーランド人アイドルの法王が偲ばれていた。イタリアでは、特にローマではディスコや商店が閉められて喪に伏した。カトリックの圧倒的多数を改めて印象付ける。
中継の合間に各局で一晩中絶えず放送された映像から法王が偲ばれ、その業績が纏められる。空飛ぶ法王と言われた開かれた内部の宗教的改革と並んで、他宗派や他宗教との宗教交流などが挙げられる。特にアシシでの世界宗教会議の様子は今見ても圧巻である。
東西ドイツの統合に演じた役割は当然の事ながら強調される。特にゴルヴァチョフ氏との会談や共産圏下のポーランドへの里帰り風景は、歴史的なクライマックスであったろう。しかしドイツカトリック教会における法王との確執は、女性聖職者の扱いや避妊、中絶等の問題で大きかった事も指摘される。改革的な法王の飽くまでも護った最後の一線が浮き彫りにされる。二度のドイツ訪問、それも二度目の青年達との席で、現実に即したカトリック教会のあり方を問われると、腰掛けたまま下を向いて目を閉じてしまうのが印象的である。このような意見に対しては、決してその場では答えなかったという。それらは、ローマ教会が宗教的、道徳的権威を保つために決して譲れなかったのだろう。また、トルコ人司祭の起こした暗殺未遂事件での恩赦風景は、今日映像で振り返って見ても重要なエピソードとなっている。
結局録画でしか観れなかったが、最後の復活祭の声の出ない祝福も大宗教の最高聖職者としての面目躍如たるものであった。聖人へ名を連ねるとの噂もあり、その政治的な成果とは別に、青少年への働きかけ、メディアでの露出と合わせ現代における聖職者としての評価は高い。
ドイツ連邦政府は半旗を掲げた。フランクフルトでは直後に鐘が鳴ったというがここでは何も聞いていない。我が町は、カトリックが少数派なので現在のところ半旗は掲げられていない。3キロ先のカトリックの隣町とは幾分違った対応となるのだろうか。これから、27年前のあの日のように、確かヴァチカンの何処からか烽火が昇るまでは法王不在となる。