裸体と政治の関係は繰り返し示唆され議論される主題である。社会が時とともに変わればその意味合いも違って来る。つまり以下に挙げるFKKのユートピアも、知らぬうちに何処からともなく腐臭が漂いだす。革新的な文化もそのまま継承されると恐ろしく因習的で保守的なものになってくる。
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FKK西東
2004 07/10 編集
FreiKoerperKulturの略で、ヌーディズムである。それが特に旧東ドイツで発達して共産主義文化にもなった。現在でも東西ドイツでは、参加者社会層や通俗性で地域差があるというTV特集番組。「肉体も精神もありのままの自分」を受け入れ、示すということだけで十分哲学となっている。第三帝国下でもゲルマンの肉体を賛美する運動として政策にもなっており、レニ・リーフェンシュタールのオリンピック映画などもそのコンセプトで作られている。裸の共同体では、社会的な装飾も虚栄も何も無くなる。「鼻や臍へのピアスは認めても性器への装飾は認めない」、強調してはいけないという。とは言え、脂肪がついたり萎えた、あまり美しくない肉体を曝け出す画像を見ていると、「厚かましい」という印象は拭えない。もちろん個人の美意識-あるとすれば-を前提としての発言ではあるが。
同時刻別番組で右翼政党が第一党である東ドイツの村が取材されていた。見るからに産業も交易も無いような農村に囲まれた外国人労働者も住まない寂れた町である。そのような町にも外国人男性と結婚した奥さんがいる。何時ものように、平素の差別を愚痴り嘆く。取材の対象としては面白いのだろうが、閉鎖的な環境で閉塞した生活をしている夫婦の様子を見ていると疑問が沸く。移動の自由も含めて全ての自由は保障されているからである。図らしずも少数派を通して東ドイツの閉塞した社会が浮き彫りにされる。
FKKは、太陽の光の欠乏を補うために始められたものである。しかし現在は、食料でのサプリメント等も豊富で高緯度の生活が直接疾患に結びつくようなことはない筈である。それどころかオゾンホールの関係で皮膚癌の危険が広報されている。過度の日焼けに肌を傷めてしまう人も多い。
東西統一後に大成功した映画「ゴー・トラビー・ゴー」は、ザクセンのドイツ語教師がゲーテのイタリア紀行の道程を自らが辿るというストーリーである。壁が開いたので、予てからの憧れの地を探訪する。愛用の国民車「トラバント」に家族三人で乗り込んでの道中ドタバタコメディーである。
トラビーは、なんとかミュンヘンに辿り着いてそこで事故に遭う。愛車修理のために家族と別れ、逸れたままイザール川の川原に止めた車の中で一人一夜を明かす。朝日の下、川の水を汲んで掃除していると、すらっとした素裸のブロンディーヌが現れ、タバコの火を貸してくれと不意を突かれる。同じ様な風景をそこの橋の上から見た覚えがあった。実はその事に囚われて気がつかなかったのだが、上で説明したように東ドイツの当時の状況からすればこのシーンは西ドイツの、もしかすると東ドイツの観衆もの不意を突いたのではないだろうか。
ヌーディスムトビーチに迷い込んだ男を知っている。彼が語るには、ウィンドサーフィンの穴場を車で探しているうちにライン河の河川湖の浜に辿り着いた。FKKビーチに迷い込んだ事に気がついて、慌てて行き止まりの道をバックさせると、車輪を砂の浜に落としてしまった。蟻地獄から抜け出そうとあげいて車を後ろへ前へと脱出を試みる程、酷く深い轍を作ってしまった。そこへ素裸の男女が飛んで来て、車の前後から押したり引いたりして手伝ってくれたらしい。一人運転席に収まっている彼は罪の服を着ていて汗をかいた。彼は、ユートピアの入り口の門に記される立ち入り禁止の文字が読めなかったのである。
参照:素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
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FKK西東
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FreiKoerperKulturの略で、ヌーディズムである。それが特に旧東ドイツで発達して共産主義文化にもなった。現在でも東西ドイツでは、参加者社会層や通俗性で地域差があるというTV特集番組。「肉体も精神もありのままの自分」を受け入れ、示すということだけで十分哲学となっている。第三帝国下でもゲルマンの肉体を賛美する運動として政策にもなっており、レニ・リーフェンシュタールのオリンピック映画などもそのコンセプトで作られている。裸の共同体では、社会的な装飾も虚栄も何も無くなる。「鼻や臍へのピアスは認めても性器への装飾は認めない」、強調してはいけないという。とは言え、脂肪がついたり萎えた、あまり美しくない肉体を曝け出す画像を見ていると、「厚かましい」という印象は拭えない。もちろん個人の美意識-あるとすれば-を前提としての発言ではあるが。
同時刻別番組で右翼政党が第一党である東ドイツの村が取材されていた。見るからに産業も交易も無いような農村に囲まれた外国人労働者も住まない寂れた町である。そのような町にも外国人男性と結婚した奥さんがいる。何時ものように、平素の差別を愚痴り嘆く。取材の対象としては面白いのだろうが、閉鎖的な環境で閉塞した生活をしている夫婦の様子を見ていると疑問が沸く。移動の自由も含めて全ての自由は保障されているからである。図らしずも少数派を通して東ドイツの閉塞した社会が浮き彫りにされる。
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FKKは、太陽の光の欠乏を補うために始められたものである。しかし現在は、食料でのサプリメント等も豊富で高緯度の生活が直接疾患に結びつくようなことはない筈である。それどころかオゾンホールの関係で皮膚癌の危険が広報されている。過度の日焼けに肌を傷めてしまう人も多い。
東西統一後に大成功した映画「ゴー・トラビー・ゴー」は、ザクセンのドイツ語教師がゲーテのイタリア紀行の道程を自らが辿るというストーリーである。壁が開いたので、予てからの憧れの地を探訪する。愛用の国民車「トラバント」に家族三人で乗り込んでの道中ドタバタコメディーである。
トラビーは、なんとかミュンヘンに辿り着いてそこで事故に遭う。愛車修理のために家族と別れ、逸れたままイザール川の川原に止めた車の中で一人一夜を明かす。朝日の下、川の水を汲んで掃除していると、すらっとした素裸のブロンディーヌが現れ、タバコの火を貸してくれと不意を突かれる。同じ様な風景をそこの橋の上から見た覚えがあった。実はその事に囚われて気がつかなかったのだが、上で説明したように東ドイツの当時の状況からすればこのシーンは西ドイツの、もしかすると東ドイツの観衆もの不意を突いたのではないだろうか。
ヌーディスムトビーチに迷い込んだ男を知っている。彼が語るには、ウィンドサーフィンの穴場を車で探しているうちにライン河の河川湖の浜に辿り着いた。FKKビーチに迷い込んだ事に気がついて、慌てて行き止まりの道をバックさせると、車輪を砂の浜に落としてしまった。蟻地獄から抜け出そうとあげいて車を後ろへ前へと脱出を試みる程、酷く深い轍を作ってしまった。そこへ素裸の男女が飛んで来て、車の前後から押したり引いたりして手伝ってくれたらしい。一人運転席に収まっている彼は罪の服を着ていて汗をかいた。彼は、ユートピアの入り口の門に記される立ち入り禁止の文字が読めなかったのである。
参照:素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21