Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

歴史政治の遠近法

2005-04-17 | 歴史・時事
過去について記述する時は必ず、その書き手が如何に客観的な歴史学者であろうとも、書き手の時代もしくはそこへ至る時代からのものを過去へと還元して、その歴史像を歪曲している事を、我々は考慮しなければならない。
- ジークムンド・フロイド


それはあたかも夢のように、固定された小さな覗穴からの遠近感の定まらない像である。今朝、中国人の歴史学者がラジオで取材されていた。「修正主義教科書」に端を発する反日デモ騒ぎについてのコメントと同時に、共産党下での歴史教育の現状が赤裸々に中国語で語られていた。文革後のようなタブーは流石に減ったが、未だにインドやベトナムとの紛争の件は封印されているというのである。つまり中華人民共和国の教科書問題が取上げられていた。ドイツの経済・法学博士号を保有しているような中国人民でも知識教養の偏りは甚だしく、正しい情報を海外にいながらも把握していないのが現実である。この番組の編集は、東欧崩壊の記憶と世界の新秩序についての思惑を底流に滲ませ、共産党一党支配の中でも少しづつ変化する歴史観を示した。

実際に東欧では同様な歴史があったからであろう。1970年代にヴィリー・ブラントの左翼政権下で西ドイツは、1970年にソヴィエトと不可侵条約を調印、続いてポーリッシュ人民共和国とも友好条約を締結する。こうして歴史教科書への共通認識への取り組みなどが冷戦対立の構造の中でも始められた。1972年のドイツ民主共和国の承認に伴って、ポツダム宣言での旧ドイツ人入植地域のポーランドによる管理が再度確認されて、オーデル・ナイセの国境線が定まる。結局このワルシャワ機構によって定められたドイツ・ポーランドの国境線は、東西ドイツの統一後に再び議論の対象となる。その間ポーランドは、ワレサ氏の率いる連帯に依って逸早く民主化への歩みを進めた。そして、ポーランド人と同じ机に着くために東方国土放棄の固定という痛みが伴った。しかしこの時、ブラント独首相がワルシャワのゲットー跡で示した跪いての数分間の黙祷の映像が世界に与えた影響は小さくないという。

何れにせよ歴史の政治的意義が問われている。静的に定まった歴史などはないのだろうが、少なくとも時が過去へ逆戻りすることはないので、先へ進まなければならない。ベルトルト・ブレヒトのよく取上げられる言葉は、歴史の実像を暴く。


「相変わらず何時も勝者が敗者の歴史を記す。打たれる者は、打つ者にねじ曲げられた特性を与えられる。弱きは失せて、そこには偽りが残る。」


それの対句となるのが、ケルト人の英雄ブレームス(BC390頃)の逸話である。彼は、ローマ軍と戦い勝利を治めるが最終的に退却を余儀なくされる。その際、ローマ人に渡すために積み上げた賠償の重さを量ると、ローマ人に秤が正確でないと責められた。すると彼は、 vae victis - 「敗者に酷い仕打ち」と叫んで自らの剣をその秤の上に投げつけたという。





2005-04-17 05:01:48
歴史・時事
Comment ( 3 )
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TBありがとうございました! (鮎川龍人)

2005-04-17 15:25:00

まぁ“中立な歴史”“客観的な歴史”“正しい歴史”などと言うものは触れる虹のようなものですから、政治に利用される場合以外では、問題とされないのですけれど。
どちらの国も“歴史”の取り扱いにはご注意を、というところでしょうか?
・・・・・劇薬ですから。





トラバありがとうございました (中村泰造)

2005-04-17 21:05:45

「戦勝国は敗戦国に対して憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る。しかし勝者が敗者に与えることができない唯一のものは『正義』である」
 ー東京裁判 インド代表判事 ラダ・ビノード・バール

強者(勝者)が弱者(敗者)に強者にとって都合のいい歴史を押し付ける事はできます。
でも、弱者がその歴史を必ずしも受け取る必要はないと思います。
・・・日本人は受け取ってしまったわけですが(^_^;

現代であれば、さほど実害もないですし、日本人にとって良いと思う歴史を主張しても良いのではないでしょうか。

虹は素晴らしい、高度な政治戦略? (pfaelzerwein)

2005-04-18 02:39:38

鮎川龍人さん、虹は素晴らしい表現ですね。確かに足元に行けば消えてしまう、遠くからは美しい。仰るとおり劇薬なのですが、薬にもなるわけでしょう。今回の場合積極的に歴史カードを使っているわけですから、心して扱わうべきです。何とかも使いよう次第ですから。


中村泰造さん、コメント有難うございました。東京裁判ですか、なるほど。

ただ歴史と云うことに関しては、逆説的でもありますが、新たな資料などが出てきて検証されているようです。これは、決して修正主義と云うようなものでなくて政治のからくりを教えてくれるようなものです。それらを挙げて、過去の責任とか保障とか云うよりも如何に活かして行くかの問題と思います。

ですから、何を何の目的で使っていくかが重要と思います。

その点から云えば、ご批判の対象となっているルモンド紙の記事(ネットでオリジナルも確かめました)はそれ程悪くはないのでは。第三者としての視点もハッキリしており、国際政治解析としても十分と思います。ドイツの社説にあるような批判や皮肉を入れない(参拝と企業活動の関係のところを除いて)ソルボンヌ風でかなり中立的な論調でしょうか。

しかし結局分析にしかならないのは、極東の安定に寄与する総合的な政治戦略が見えないからでしょう。陳腐な民族主義が肥やしにでもなるのは限られており、その点では今回も明快です。それに対応する戦略が見えないというのは不可解です。少なくとも外交上は。あまりに高度な政治戦略があって分かりにくいのかもしれません。






反日暴動を見て思うこと(再び) (孔子の戯言)

今週末も中国で反日デモが予想される報道が続いています。予定では17日の日曜に北京




正論を言えばいいってもんじゃないだろう (珍ブログ~不完全版~)

ご隠居さん(余丁町散人こと橋本直幸氏)の訳したルモンドの社説。 Le Monde 社説 : 日中間の緊張
コメント (2)
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