陽射しの強いところも、雨の中も歩きたくない。パン屋の夏休みが終ったので、それを取りに行くついでにまた森を歩く。これまた久しぶりに煮豚を取りに行って夕飯に備えた。
5.6KMの経路、高度差140Mを一時間弱で歩いた。まあまあの速度だろう。その道すがら、こうして歩くだけでヴァイタリティーが満ち溢れてくるのを感じる。朝早くは愚図つきがちであったが気持ち良い夏の午前となってきた。
必ずしも子供の時から運動に興味を持っていた訳ではなく、寧ろ身体を動かすのを苦手にしている人間であるが、こうして身体を思うように動かすことから嘗てない程のスポーツ的な成果を挙げつつ、尚の事更なる目標を正確に定めていると、一時俗社会で流行っていたようなフィットネス賞賛ではないが、体を動かすことは社会生活にも大きなヴァイタリティーを与えることが実感出来る。
先日の山行においても、体重オーヴァーの親仁さんのザイルを受け取ってその後を息を上げながら登っていたのを、隊長の警察官から見極められて、「コンディショントレーニングはしているのか」と声が掛かった。「いやそちらの方はまだまだ」といい訳をしたのだが、二年ほど前に「葡萄園を散歩している」、「それでは足りん」と言われた時とはやや違う。その証拠に最終日には、選抜メンバーの中で「着いて来ている」と言わせたのである。
まだまだ時間を掛けて強化できる。先三十年ほどの間で思う通りの放物線を描きたいのだ。昨晩は、仲間の医者が漏らしていた四千メートル峰のルートなどをみて、もしかすれば北壁への準備として登って措くべきかなどとも考えた。なにもこれという具体的な目標がある訳ではないが、あまり一極へと集中せずに様々な事を試しながら実力向上を目指すのが、上の医者にも語ったように事故も起こさず安全に登山活動を続けるこつであると感じている。
だからと言って、別の仲間がするような軽飛行機を操縦したり、ヘリコプターを操縦したり、スカイダイヴィングをしたりの余裕はない。軽飛行機だけは後一年ほど日本に済んで居たら免許を取っていたかも知れないなと思いながらも、同時に興味のあったジェット機の購入操縦ももはやどうでもよくなった。それでも決して実生活での可能性が狭まったと感じないのは考え方の変化に違いない。
友人から電話が掛かってきて九月の都合が変わったと、試飲の日程の変更が検討された。しかし実は彼女のお兄さんの膵臓癌が骨折の検診で発覚したというのだ。彼女の旦那さんと奇しくも同じ病気である。一度しか会ったことはないが、まだ若い家族の顔が浮んで気の毒としか言いようがない。まだ教師として現役で働いていたと言うからまだまだ若い。
葬儀屋の宣伝ではないが、「お別れは急にやってくる」もある意味真実であり、それは何人も避けようがない。しかし、最後の日までのヴァイタリティーに溢れた時は少なくとも目指すことが出来るような気がするのである。
5.6KMの経路、高度差140Mを一時間弱で歩いた。まあまあの速度だろう。その道すがら、こうして歩くだけでヴァイタリティーが満ち溢れてくるのを感じる。朝早くは愚図つきがちであったが気持ち良い夏の午前となってきた。
必ずしも子供の時から運動に興味を持っていた訳ではなく、寧ろ身体を動かすのを苦手にしている人間であるが、こうして身体を思うように動かすことから嘗てない程のスポーツ的な成果を挙げつつ、尚の事更なる目標を正確に定めていると、一時俗社会で流行っていたようなフィットネス賞賛ではないが、体を動かすことは社会生活にも大きなヴァイタリティーを与えることが実感出来る。
先日の山行においても、体重オーヴァーの親仁さんのザイルを受け取ってその後を息を上げながら登っていたのを、隊長の警察官から見極められて、「コンディショントレーニングはしているのか」と声が掛かった。「いやそちらの方はまだまだ」といい訳をしたのだが、二年ほど前に「葡萄園を散歩している」、「それでは足りん」と言われた時とはやや違う。その証拠に最終日には、選抜メンバーの中で「着いて来ている」と言わせたのである。
まだまだ時間を掛けて強化できる。先三十年ほどの間で思う通りの放物線を描きたいのだ。昨晩は、仲間の医者が漏らしていた四千メートル峰のルートなどをみて、もしかすれば北壁への準備として登って措くべきかなどとも考えた。なにもこれという具体的な目標がある訳ではないが、あまり一極へと集中せずに様々な事を試しながら実力向上を目指すのが、上の医者にも語ったように事故も起こさず安全に登山活動を続けるこつであると感じている。
だからと言って、別の仲間がするような軽飛行機を操縦したり、ヘリコプターを操縦したり、スカイダイヴィングをしたりの余裕はない。軽飛行機だけは後一年ほど日本に済んで居たら免許を取っていたかも知れないなと思いながらも、同時に興味のあったジェット機の購入操縦ももはやどうでもよくなった。それでも決して実生活での可能性が狭まったと感じないのは考え方の変化に違いない。
友人から電話が掛かってきて九月の都合が変わったと、試飲の日程の変更が検討された。しかし実は彼女のお兄さんの膵臓癌が骨折の検診で発覚したというのだ。彼女の旦那さんと奇しくも同じ病気である。一度しか会ったことはないが、まだ若い家族の顔が浮んで気の毒としか言いようがない。まだ教師として現役で働いていたと言うからまだまだ若い。
葬儀屋の宣伝ではないが、「お別れは急にやってくる」もある意味真実であり、それは何人も避けようがない。しかし、最後の日までのヴァイタリティーに溢れた時は少なくとも目指すことが出来るような気がするのである。