Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ボルシェヴィストの鼻を折る

2009-08-12 | 文化一般
大指揮者フルトヴェングラーのベルリン復興時の録音がまたもや全集で発売されたようである。FAZ新聞文化欄に紹介が載っていた。戦後ナチの疑いで活動が禁止されていて、初めてベルリン西側連合軍占領地域で公に復帰した1940年代後半の録音をはじめとする米国の進駐放送局RIASによる音源集である。この世紀の指揮者のファンならば何度も聞いているような録音であるが、新たにオリジナルソースからデジタル化しているようである。一部には珍しい曲の録音もあるようだが、主な名録音はティタニアパラストでのベートーヴェンやブラームスの名曲集である。

なぜに四級ナチ犯罪者扱いとなり、こうして西ベルリンで公にドイツ音楽を体現するような盛大な活動が許可されたかについて触れられている。当時の名言がそこで取り上げられている。

要するにボルシェヴィズムスの考え方によると管弦楽なども合議制で執り行えばファシスト的な指揮者を必要としないで「音楽を出来る」となるのだが、それに対して二十倍の練習時間を与えても名指揮者が一時間で執り行う成果どころかそれにも至らないと言うのである。

文化政策としてその美学的なもしくは政治社会的な意味合いからして面白い発言なのであるが、先日挙げたアルピニズムやその社会層の心理と共に、近代社会を体現する文化としての管弦楽活動の本質がそこに見える。

ベートーヴェンの交響曲をヴァーグナー化し、シューマンやブラームスのそれをブルックナー化したこの指揮者が、近代の発展の中で交響管弦楽団の指揮者として歴史上の頂点にあったことはその観点からも間違いないであろう。
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