Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

明治の叶わなかった正夢

2012-02-07 | アウトドーア・環境
承前)月末に出かけた明治期の日本の写真展で興味深かったことはまだある。若干ローカルな話題となるが、各地の当時の風景はやはり面白い。それも良く知っている場所の今昔は特に興味を引いた。

先ずはなんといっても神戸の写真で、当時は丁度外国人の居留地区が開かれて有名な神戸事件が起こるまでの時代が良く映されていた。しかし先ずはそんなことよりも感動したのは、丁度夢に見た神戸のありもしない風景が実は明治年間に存在したことである。

もちろん神戸の写真は大正・昭和期のものは比較的馴染みもあり昔話も聞いたことがあったのだが、まさかと思うほどの正夢であった。夢の記録を読み返してみるとフランス風の風景が広がっていると書いているが、写真の風景は正しくオーストリアアルプスのアルム地方のそれであった。要するに国鉄の三宮駅周辺から臨む山沿いに現在建っている建造物を全部取り除きそこを牧草地帯にすると、丁度アルプスの高原のような丘陵地帯が広がっているのである。その美しさに固唾を呑んだ。具体的には、そこに雪があればそのままスキー場になるような美しいスロープが町の背後に広がっているのである。六甲山の麓には思っていた以上に幾つもの丘陵地帯が広がっていたのである。

なるほど背後の六甲山は禿山であったと聞いたことがあるが、どうもその引き継がれ方はどこかで伝言ゲームのように意味が違っていったようである。アルプスの牧草地帯はなるほど木が生えていない。それは森林限界がそこにある訳では必ずしも無く、エネルギー獲得のために森が伐採されていったのである。そして植林をする代わりに牧草地帯として有効利用されているに過ぎない。

そこから考えるとどうも写真で見る限り神戸の場合も伐採が進んだことから禿げ山と呼ばれたのだろう。もしかするとそれは可也以前からそうした傾向にあったのかもしれないと感じさせた。その一つの理由は、同じときに写されていた「兵庫の大仏」と呼ばれるものの存在で、平清盛の福原京遷都に由来する能福寺に建っていると言うような歴史の事実である。これも写真を見てびっくりしたのだが、兵庫といってもまさか神戸市内とは思ってもみなかった。ネットで調べてみると、神戸に外国人居住区が出来て、キリスト教など一神教に感化されてはいけないというので1891年に豪商によって寄贈されたというのである。そしてそれは戦時中の金属調達で供出されるまで日本三大大仏となっていたというのである。あまり聞いたことがなかったと思えば、1991年に再建されていたのである。これにはまた驚いて、地震の際も倒れずに現在も座しているようである。

神戸があのままコーベビーフの酪農の町になった可能性などがないのが日本の文明開化であり、折角の外国人の知恵もその方には活かされず、精々ゴルフ場建設や遊びの無駄な領域へと開発されていったのであろう。

富士山の写真や大阪・京都・奈良・横浜・東京・日光などの写真も素晴らしかったが、なんと言っても放火される前の金閣寺の美しさや都内から眺める湘南への眺望などは見事であった。

明治のその頃の日本は美しく歴史に満ち溢れていたということであろう。



参照:
郷に入るユンカーの領地にて 2011-02-11 | 雑感
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
コメント
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